沖縄抜き「全国戦災史」 国の調査、戦後70年行われず - 東京新聞(2015年12月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201512/CK2015122602000129.html
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太平洋戦争の惨禍を後世に伝えるため、戦災に関する資料を調査・収集した政府の「全国戦災史実調査報告書」から、激しい地上戦があった沖縄戦が抜け落ちたままになっている。沖縄県は今年、政府の責任で記録を残すよう求めたが、安倍政権はあらためて調査はしない方針。政府の戦災記録に沖縄の悲劇が記載されないまま、戦後70年の年を終える。 (高山晶一)
全国戦災史実調査は総務省などが社団法人日本戦災遺族会(二〇一〇年解散)に委託して一九七七〜〇九年度に実施。空襲被害、学童疎開思想統制など違うテーマで報告書にまとめた。
沖縄返還(七二年)後の調査にもかかわらず、沖縄戦については一部の年表で「沖縄の守備軍全滅」などと簡単に触れるなどした程度。「四十六都道府県における戦災を対象に調査した」と前文に注釈を入れた年も複数ある。
空襲被害の調査(七七年度)では、調査員も派遣するなどして死者や負傷者数、焼失戸数などを詳しく記録したが、那覇市などで少なくとも六百六十八人(県調査)が亡くなった四四年の「十(じゅう)・十(じゅう)空襲」は触れずじまい。学童疎開の調査(八一年度)も、都市ごとに人数や受け入れ先を記載したが、多くの学童が犠牲になった沖縄からの疎開船「対馬丸」撃沈は巻末の年表で簡単に触れただけだ。
今年九月、照屋寛徳衆院議員(社民)が質問主意書沖縄戦を除外した理由をただしたのに対し、政府の答弁書は、調査報告書を作った当時の行政文書が残っていないことから「不明」とした。同遺族会の元幹部は、沖縄は沖縄開発庁(現内閣府)が担当していたため「所管の違いだったと思う」と本紙に説明。「特別な意図があって沖縄を外したわけではない」と話す。
沖縄県は十一月、国として沖縄の戦災記録を残すよう翁長雄志(おながたけし)知事名で要請。対応した総務省幹部は「県と協力しながら記録を残していきたい」と応じた。しかし、同省の担当者によると、県側からデータが提供されればホームページ(HP)に掲載する方針だが、政府として新たに沖縄戦の被害を調べる予定はないという。
安倍政権は、名護市辺野古(へのこ)への米軍新基地建設問題で沖縄の「分断」を批判されているが、この問題でも同様の構図が浮かび上がる。
吉浜忍・沖縄国際大教授は「最も厳しい状況に置かれた沖縄の調査をまずやるのが筋だった」と指摘。「沖縄戦戦没者の実数はまだ分かっていない。国にしかできない調査はあるはず。それが過去に向き合うということだ」と強調した。
沖縄戦 太平洋戦争末期、沖縄本島などであった米軍と旧日本軍の戦闘。住民も動員され、集団自決に追い込まれたりした。沖縄県は1976年に「20万656人が犠牲になり、うち民間人は約9万4000人」と発表したが、正確な数は不明。国が、戦没者数を含む沖縄戦の実相を総合的に調査したことはない。厚生労働省が把握する戦没者数もあるが、旧日本軍の資料に基づく概数。