空襲被害叫ぶ100歳 傷ついた国民に補償を - 東京新聞(2015年12月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015120902000126.html
http://megalodon.jp/2015-1209-0924-30/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015120902000126.html

太平洋戦争が開戦した日に合わせ、空襲被害者らの救済を国に求める要請行動が八日、国会周辺であった。集まった約百五十人の中に、空襲で左目を失い、今年九月に百歳の誕生日を迎えた杉山千佐子さん=名古屋市=の姿もあった。
「えらいことになったと思った」。一九四一年十二月八日の朝、開戦の一報を聞いた時のことを、杉山さんは振り返る。
戦時中は「お国のために」と、焼夷(しょうい)弾の火を消す訓練に明け暮れる軍国少女だった。四五年三月の名古屋空襲。強い爆風を浴びて顔がえぐれ、左目を摘出した。そして敗戦。多くの人が家族を失い、国民は傷ついた。
しかし、軍人・軍属と違い、国は民間人に補償しなかった。「私たちも国民。差別しないで」。同じ境遇の人たちと全国戦災傷害者連絡会をつくり、四十年以上、救済を求めてきた。国会に何度も提出された援護法案は、いずれも廃案に。「百歳までに」との願いは届かなかった。
百歳の誕生日の翌日の今年九月十九日、安全保障関連法が成立。戦争の現実を知る杉山さんは、空襲被害者らの集会で「安保法案を通すのなら、まず『一番弱い国民を守る』と一条入れてください」と危機感を訴えてきた。
戦後七十年がたち、被害者らに残された時間は少ない。この日の要請行動後の集会で、杉山さんは車いすから参加者に語りかけた。「世界の片隅ではドンパチをやっている。特に、武器を持たない一般市民がひどい目に遭わされている」。最後に、こう願った。「本当に戦争のない、静かな世界にしたいと思います」 (福田真悟)
     ◇
空襲被害者を支援する中山武敏弁護士が八日、衆議院第一議員会館で記者会見し、杉山さんら障害を負った生存者に、三十五万〜百五十万円を給付する特別措置法を新設する私案骨子を発表した。