(筆洗)「赤鼻のトナカイ」など、この季節 - 東京新聞(2015年12月8日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015120802000116.html
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「赤鼻のトナカイ」など、この季節、町中に溢(あふ)れるクリスマスソング。最近ではキリスト教徒ばかりではなかろうと、クリスマスの名称を消して、ホリデーソングなる言い方もあるそうだが、名はどうであれ、耳にすれば、自然と心が浮き立つものだ。
米国のラジオ局はクリスマスソングにこだわる。局の中には十一月の感謝祭が終わるやいなや、十二月二十五日まで二十四時間、クリスマスソングしか流さないという極端なところもある。
聞いてみたいと思う方もいるか。お薦めできぬ。米国赴任中の経験だが、あれだけ続くと、拒否反応も出てくる。無理に口を開けさせられ、陽気さ、楽しさ、幸福感を流し込まれている気にさえなる。
それでもクリスマスソングなら、まだましであろう。<ラジオは、けさから軍歌の連続だ。一生懸命だ。つぎからつぎと、いろんな軍歌を放送して、とうとう種切れになったか、敵は幾万ありとても、などという古い古い軍歌まで飛び出して…>。太宰治がその日について書いている。一九四一(昭和十六)年十二月八日。日本は太平洋戦争に突入した。
半藤一利さんによると、その日のラジオは、「臨時ニュースのないときには軍歌だけが流れていた」という。国民が口を開けさせられ、押しつけられていたのは「戦え」か。
二〇一五年十二月。そんな曲が交じっていないか。耳をそばだてる。