地図と写真で見る空襲と東京 「ぼうぜんとしたあの日、思い出した」:東京 - 東京新聞(2015年11月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201511/CK2015112502000131.html
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太平洋戦争の空襲で壊滅した東京の姿を地図や航空写真などで伝える展示会「首都東京1945」が、東京メトロ三越前駅の通路(中央区)で開かれている。マリアナ諸島発進の米爆撃機による初の東京空襲があった一九四四年十一月二十四日にちなみ、二十四日は主催した日本地図センターの田代博常務理事(65)による説明会もあった。 (木原育子)
東京大空襲の前後を比較できる航空写真や、機密保持のために重要な土地や建物を改ざんした地図「戦時改描(かいびょう)」など約七十点を展示した。木造家屋を効率よく燃やすために対日専用焼夷(しょうい)弾を研究開発していた米国ユタ州の実験場の資料も並んだ。
二十四日は、マリアナ諸島から飛び立った爆撃機B29が軍事工場「中島飛行機武蔵製作所」(武蔵野市)を爆撃し、七十人が犠牲になった。説明会では、製作所を上空から撮影した米国の写真を前に、田代さんが「ここから三月十日の東京大空襲に続く悲劇が始まった」と語った。
米国の「AMS(米陸軍地図局)被災地図」を基に、日本地図センターが空襲地域をオレンジ色に色付けした地図も初公開されている。元の地図は、空襲地域に薄青色の斜線を引いただけだった。田代さんは「これだけの市民を犠牲にした事実への反発を恐れ、米国はあえて目立たないように描いたのでは」と推測した。訪れた人は、神妙な面持ちで眺めていた。
空襲後の航空写真の前で立ちすくんでいた練馬区北町の安原徹哉さん(84)は「空襲で家を焼かれ『これからどう生きていこうか』と、ぼうぜんとしたあの日を思い出した」とぽつり。「本当に無駄な戦争をした。あの絶望感だけは若い人に味わってほしくない」と強い口調で語った。
展示会は三十日までで、会場は半蔵門線と銀座線の駅間の通路。三十日にも午後零時半から三十分間、説明会がある。見学無料。