訃報:毛利甚八さん 57歳=漫画「家栽の人」原作者 - 毎日新聞(2015年11月23日)

http://mainichi.jp/select/news/20151124k0000m040029000c.html
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家庭裁判所判事を主人公にした漫画「家栽の人」の原作者として知られる作家の毛利甚八(もうり・じんぱち<本名・毛利卓哉=もうり・たくや>)さんが21日、食道がんのため大分県豊後高田市の自宅で亡くなった。57歳。葬儀は近親者で営んだ。
1958年、長崎県佐世保市生まれ。日大芸術学部を卒業後にライターとなり、87〜96年にビッグコミックオリジナルに連載された「家栽の人」の原作を担当。植物好きの家裁判事が少年事件の解決と更生に取り組む姿が共感を呼び、テレビドラマ化もされた。
ルポライターとして民俗学者宮本常一の足跡を追う一方、2001年に豊後高田市に移住。篤志面接委員として地元の少年院でウクレレを教えながら、毎日新聞で少年問題に関する「さかさメガネ子ども論」や「育ち直しの歌」(西部本社版)などのエッセーを連載。少年事件の厳罰化の流れに反対し、少年院などを通した更生の可能性を発信し続けた。
12年10月から今年4月までサンデー毎日に掲載された、商店街を舞台にした漫画「のぞみ」の原作も担当。今年10月には、故郷の佐世保市で昨年7月に起こった高1同級生殺害事件に関する著書「『家栽の人』から君への遺言」を出版し、末期がんにかかっていることを明かしていた。

『「家栽の人」から君への遺言 佐世保高一同級生殺害事件と少年法』(毛利甚八)|講談社BOOK倶楽部
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062196949

発売日 : 2015年10月13日/ 定価 : 本体1,700円(税別)

ヒット作『家栽の人』で一躍人気マンガ原作者となりながら、著者は、その成功を素直に喜べない自分に出会う。現実離れした人物像を『家栽の人』の主人公にしてしまったことに苦しみ、戦後の裁判所のねじれた歴史に巻きこまれた思いを強めていたからである。矛盾の多い法曹界の戦後史を追跡し、中津少年学院で篤志面接委員となり、宮本常一の仕事を追いかけ“忘れられた日本”の風景を歩むなかで、司法現場と世間の感覚とのズレを実感するようになった著者が突き当たったのが、戦後の少年法が抱える問題である。
第一部「少年法をめぐる戦後」では、少年法の成り立ちと戦後社会との関係を検証するとともに、神戸児童連続殺傷事件や光市母子殺害事件の現場のフィールドワークをおこない、非行少年の更生に携わり大きな実績を挙げる野口義弘・藤岡克義両氏への取材を敢行することで、戦後少年法が孕む本質的な問題をわかりやすく、かつ鋭く抉り出す。
少年法への無知、無理解が、ピント外れの「少年法叩き」を生む日本社会の現状を嘆く著者に、二〇一四年夏、末期の食道がんが見つかる。すでに肝臓、リンパ節、肺にも転移していた。佐世保高一同級生殺害事件が起きたのは自身のがんを知った直後である。がんにおかされた病床で著者は生と死を見つめ直し、「佐世保の君」に贈る最期の言葉を紡ぎ始める。事件の背景、少女が犯した罪への考察は、物語で「少年の心の痛みを書く」ことこそミッション――『家栽の人』執筆は運命――だった自身への気づきとも重なっていく……。少女への問いかけを通し本当の更生とは何かを考え、人が生きて在ることの根拠を見つめる(第二部「佐世保の君への手紙」)。

第一部 原作者が迷い込んだ少年法の戦後史
第一章 家栽の人をふりかえる
第二章 少年法叩きの一五年を考える
第三章 少年院の世界
第四章 非行少年100人を雇った男 
 (株)野口石油会長・野口義弘(福岡県北九州市)
第五章 少年鑑別所からの大学進学、請け負います 
 学習塾フジゼミ社長・藤岡克義(広島県福山市)

第二部 佐世保の君に贈る手紙
第六章 第一信 忙しすぎる夏
第七章 第二信 最高裁に乗り込む
第八章 第三信 ぼくが思春期に出会った死
第九章 第四信 維摩詰の足元で