余録:国が裁判の当事者になれば代理人の弁護士役を… - 毎日新聞(2015年11月19日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20151119k0000m070114000c.html
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国が裁判の当事者になれば代理人の弁護士役を務めるのは法務省だ。担当する訟務部門が今年度から「局」に格上げされた。国が争う裁判は昨年末で1万989件に上る。原発事故に絡む訴訟をはじめ、訴えられるケースが年々増えている。
訟務局の拡充はこれに対応するためだ。戦前は国民が国の過ちで損害を被っても責任を問えなかった。国を相手に裁判を起こすことは、いわば国民の側の権利である。とはいえ、これほど多いのは両者の溝が深くなっているからではないか。
沖縄・辺野古への米軍普天間飛行場の移設計画をめぐり、国が沖縄県を訴えた。溝を深めたのは県の方と言わんばかりだ。法廷で法律論争が繰り広げられることになる。だが裁判の本質は戦争で沖縄が本土防衛の捨て石にされた歴史の延長線上にある。
作家、井上ひさしさんによる未完の戯曲「木の上の軍隊」は沖縄が舞台だ。実話が基になっている。現地出身の若い兵士と本土出身の上官が終戦を知らぬままガジュマルの木の上に身を隠して暮らす。上官は「この島を守るんじゃない、この国を守るんだ」と言う。
国あっての沖縄か。若い兵士は上官に向かってこう叫ぶ。「守られているものにおびえ、おびえながらすがり、すがりながら憎み、憎みながら信じるんです」。本土の意識はどれほど変わったのか。このままでは「憎みながら信じる」ことさえできなくなる。
法務省はホームページに訟務の役割を「個々の国民の利益と国民全体の利益との正しい調和を図り……」と明記している。国は沖縄に生きる国民一人一人の叫びと、どう調和を目指すというのだろう。