<千葉から語り継ぐ戦争>腹話術で世界に被爆体験伝える 八千代の小谷さん:千葉 - 東京新聞(2015年11月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201511/CK2015111102000213.html
http://megalodon.jp/2015-1111-0923-22/www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201511/CK2015111102000213.html

広島での被爆体験を腹話術で証言し続けている八千代市米本の元幼稚園教諭、小谷孝子さん(76)が今春から夏にかけて、国際交流非政府組織(NGO)ピースボートが主催する世界23カ国を巡る船旅に参加。被爆70年の節目の年に、初めて世界で体験談を発信した。小谷さんは「反核・平和の思いは、海外でも通じた」と話す。帰国報告会が14日午後2時から八千代台文化センター(八千代台西1)で開かれる。入場無料。 (服部利崇)
一九四五年八月六日。国民学校一年の小谷さんは自宅で被爆。爆風で倒れた柱と壁の隙間にいたため、かすり傷で済んだ。しかし四歳だった弟を四日後に、五年後には母も亡くした。
小谷さんは「母が亡くなってから被爆者であることを隠していた」と語る。しかし原爆で全身やけどを負い、肺や肝臓のがんを生き延びた姉に背中を押されたこともあり、十二年ほど前から体験談を語り始めた。
二〇一〇年からは、幼稚園教諭だった約四十年前から付き合う腹話術の人形あっちゃんと一緒に伝える。「弟の健二に語りかけるようにやっている」と小谷さん。だから弟の最期の言葉「お母ちゃん、飛行機恐ろしいね。お水おいしいね」は、あっちゃんが語る。
市内を中心に小中学校や公民館など多い年で三十回ほど講演している。先月二十九日には八千代市阿蘇中の三年生約六十人がじっと耳を傾けた。
海外の子どもにも被爆体験を伝えたいと、小谷さんは他の被爆者七人と四月から七月までの百五日間、アジアから欧州、中南米をめぐった。
小谷さんは五カ国で証言した。人形との掛け合いの通訳が難しく、途中から一人で話していた。しかしグアテマラでは、ピースボートのスタッフらがスペイン語の字幕を用意。あっちゃんとのやりとりも的確に伝わり、涙を誘ったという。
保有国のインドとフランスでも証言。「若い人たちは『核は、持っていても使わない』と言ってくれた」。一方シンガポールや米ハワイでは「日本が加害者であることも痛感した」。
市内の萱田(かやだ)中と八千代台西中両校の生徒から託された計約九百枚のメッセージカードを配った。折り鶴を張り、日本語と英語の平和のメッセージを添えたカードは海外の若者にも好評だった。小谷さんは「小さな平和の種まきができた」と話す。
十四日の帰国報告会は、八千代市原爆被爆者の会と市の共催。小谷さんは座談会で旅の発表をする。萱田中の平和の取り組み発表や、平和の思いを伝える朗読劇もある。問い合わせは、市国際推進室=電047(483)1151=へ。