<戦後70年「里の秋」の願い>「船橋も古里なんです」:千葉 - 東京新聞(2015年10月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201510/CK2015101902000157.html
http://megalodon.jp/2015-1019-1025-35/www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201510/CK2015101902000157.html

童謡「里の秋」から戦争と平和を考える連載記事(十〜十五日)には、読者からさまざまな反響があった。船橋市では近く、歌い継ぐイベントも開催される。 (服部利崇)
<反響編>
フリーライターさとうももよさん(64)=船橋市=は「船橋も『里の秋』の古里だ」と話す。
作詞した斎藤信夫(一九一一〜八七年)は教師として四〇年春、船橋市葛飾(かつしか)国民学校(現在の葛飾小)に着任、四六年三月まで籍を置いた。
元の歌詞「星月夜(ほしづきよ)」はこの間の四一年十二月にできた。
葛飾小を卒業したさとうさんは地域紙記者だった九二年九月、同校創立百周年に合わせ「里の秋」と、船橋市西部の葛飾地域との関わりを記事にした。斎藤の妻や教え子にも取材した。
中川康三さん(84)=船橋市=の妻幸子さん(故人)は教え子だった。「妻は『とてもいい先生で、よく歌を歌ってくれた』と話していた」と中川さん。婚約中の斎藤は、ポケットに相手の写真を入れ、子どもに見せることもあった。
斎藤は四六年春、「敗戦の責任」をとり教職を離れた。さとうさんが斎藤の妻に取材したところ、「すでに四五年の夏以降、学校に登校しなくなった」という。「心をなくし、ボロボロになって(実家のある)成東へ戻ってきた」と精神的に追い詰められていたという。
さとうさんは「『星月夜』の主人公の男の子は、葛飾国民学校の児童かもしれない。『里の秋』は船橋にとっても財産」と話す。
さとうさんの友人で葛飾地域出身・在住の中村恵子さん(70)が運営する「お休み処『かつしか』」(西船四)では毎年、「里の秋」にまつわるイベントを開催。今年も「葛飾『里の秋』童謡めぐり」と題し行う。
三十一日午後二時からは「かつしか」で、斎藤の童謡をみんなで歌うイベントを開く。斎藤の詩の朗読、会場に展示した写真などの解説もある。参加費三百円(資料代とおやつ)。
十一月七日はウオーキングイベントを開く。午前十時にJR西船橋駅北口に集合。葛飾小や、斎藤が校歌を作詞した行田中学校などを二時間半かけて歩く。参加費三百円(資料代と保険代)。
両イベントとも申し込みが必要。問い合わせは、中村さん=電080(3388)6968=へ。
◆「柔和な笑顔の紳士でした」
エアロビクス指導の第一人者といわれる野口洋子さん(78)=習志野市=は三十年前、成東町(現山武市)に斎藤を訪ねた。その時の写真と、斎藤からもらった「里の秋」の歌詞が書かれた自筆色紙は額に入れて、今も大切に飾っている。
一九八五年八月、旧知の男性カメラマンに「斎藤さんの取材に同行しないか」と誘われた。翌年出版された写真集「千葉の貌(かお)」で、二人はそれぞれ活躍する千葉県人として紹介される。
「よく来たねー」。斎藤は歓待してくれた。「里の秋」の作者程度の知識しかなく、かわした会話も覚えていない。でも柔和な笑顔と高い背が印象的だった。「とにかく紳士的で、すてきなおじさまだった。やさしかった祖父と重なった」