安保と議事録 歴史検証に堪えられぬ - 朝日新聞(2015年10月17日)

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集団的自衛権の行使を可能にする安保法制の成立から1カ月。参院特別委員会での採決のプロセスが、いかに日本の民主主義に汚点を残したか。公開された参院の議事録から、改めて見えてくる。
「発言する者多く、議場騒然、聴取不能
採決直後の速記録は、鴻池祥肇委員長が可決を宣言したとする際のさまをこう記していた。
しかし、このほど参院のホームページで公開された議事録には、鴻池氏の判断で「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」「なお、両案について附帯(ふたい)決議を行った」などの文言が追加されている。
野党が「与党だけで文書を作り上げたのは前代未聞」(民主党岡田代表)として、作成過程を検証するよう参院事務総長に申し入れたのは当然だろう。
議事録をあつかう最終権限は委員長にある。だとしても、このようなやり方が通用するなら、「なかったこと」を、事後的に「あったこと」にできることにならないか。
議事録は国会審議の公式記録だ。それなのに、この議事録を読んでも可決が「賛成多数」か「全会一致」か、付帯決議はどの会派が提出したのか、どのような内容なのかもわからない。
戦後日本の一大転換となる一幕が、歴史的検証の素材たり得ない。後の世代に対する責任放棄と言われても仕方がない。議事録はいったん白紙に戻し、記録の内容について与野党で協議し直すべきだ。
問題はこれだけではない。横浜市であった地方公聴会の報告をしないまま、公聴会の翌日、委員会採決が行われた。
公聴会に対しては採決に向けた「通過儀礼」と化しているとの指摘もある。しかし本来は、利害関係者や学識経験者から意見を聴き、法案審査に生かすためにある。参院先例録は、派遣された委員が、その結果を「口頭または文書で委員会に報告する」と定めている。
公述人から「公聴会への派遣は委員45人中20人。報告がされなければ、公聴会の内容が共有されない」「公聴会が本当のセレモニーになってしまう」と抗議の声が上がっている。重く受け止める必要がある。
最後は多数決で決める。それが議会制民主主義の一面であるのはその通りだ。
だが、その根幹は異論や反論にも耳を傾け、議論をする、そのプロセスにこそある。
民主的なプロセスを軽んじる政治は、民主的に選ばれたはずの自らの基盤を弱くする。