<戦後70年「里の秋」の願い>継承 やさしさ 歌で次世代に:千葉 - 東京新聞(2015年10月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201510/CK2015101502000194.html
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斎藤信夫が亡くなる一年前、一九八六年出版の「成東町史 通史編」(同町史編集委員会編)に、本人がエッセー「童謡漫筆(まんぴつ)」を寄せている。文部省唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞を引き、「その山は削られ、その川は埋められて、昔日の面影は全くない」と嘆いている。
当時日本経済はバブル最盛期。同町(現山武市)早船でもゴルフ場計画があったが、バブル崩壊で頓挫。業者が購入した里山は人の手が入らなくなり、竹で覆われるなど荒廃が進んだ。
二〇〇五年度から、里山復活の活動をしているのが「早船里山の会」。会員が買い戻したり、所有者の了解を得たりした里山計約三・一ヘクタールを管理する。これまで桜約五百本、アジサイ千株、クヌギやナラなど落葉広葉樹約二百本を植えた。
代表の実川正和(43)は「動植物が集い、食料やエネルギーも手に入れられる里山を復活させ、人々の交流の場に戻したい」と話す。同会は毎秋里山コンサートを開催(今年は中止)。メーンの歌は「里の秋」。実川は「楽器を持ち寄り、みんなで歌う」と話す。
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「平和でいたい。みんな幸せでいたい。隣同士と仲良くしたい。そんな気持ちで歌います」。声楽家の立川かずさ(43)=習志野市=はそう聴衆に語って「里の秋」を歌い始めた。
メゾソプラノのオペラ歌手。コンサートでは誰もが知る曲を交えた構成にしており、平和がテーマのコンサートでは「里の秋」をよく歌う。
秋を代表する温かい歌だと思っていた。しかし戦争色の濃い原詩「星月夜(ほしづきよ)」を知って印象が変わり、歌の背景も話すようにした。
歌で伝えたいのは家族。「小さい単位の家族が平和なら、それが波及し世の中が平和になる」。そんな願いを込め歌い続けていく。
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山武市民らでつくる混声四部合唱団「なるなみコーラス」は昨年二月、「斎藤信夫童謡集 夢のお馬車」を編集した。「斎藤の詩集は何冊かあるが、楽譜が付いた童謡集は初めて」。当時の会長、土屋力(つとむ)(73)は語る。
五十三曲を掲載。音符や記号の検証、著作権の確認など一年かけて丹念に行った。五百冊刷ったが人気を呼び、昨年十一月には五百部増刷した。
土屋は「斎藤の『蛙(かえる)の笛』『夢のお馬車』を知らない人が地元でも増えている。童謡集通りピアノを弾き、歌えば、斎藤の世界を再現できるので歌い継いでほしい」と話す。
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戦争に敗れ疲弊した国民の心を慰め、癒やしたのが童謡などの歌だった。四五年十二月に誕生した「里の秋」もそんな曲の一つだ。
土屋は小さいころ、店のラジオから流れる童謡に足を止め聞き入った。「戦争で死への恐怖を体験して、やさしさや平和を心から望んだ。童謡にも、その気持ちが込められている」
子ども心を大切にした斎藤の童謡は「やさしさ」に満ちあふれる。代表曲「里の秋」は今後も歌い継がれていくだろう。
=文中敬称略、おわり