<戦後70年「里の秋」の願い>もう1人の作者 外房の田園風景も一役:千葉 - 東京新聞(2015年10月14日)

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「海沼氏が私に声をかけてくださった(中略)。このことが私の人生を、明るいものに変えてくれました」(成東町教育委員会編「童謡詩人 斎藤信夫のあしあと」)
斎藤は「里の秋」のもう一人の作者、童謡作曲家の海沼實(みのる)を「筆舌には尽くせない恩人」と述べている。
二人の出会いは、「里の秋」が世に出た八年前の一九三七年。すでに作詞活動も始めていた教師の斎藤は、子ども心をより深く知ろうと小学校教師向けの月刊誌にも目を通していた。その新人作曲家の投稿欄に毎月名前が出ていたのが海沼だった。「将来伸びるに違いない」。東京で子どもに音楽を教えていた海沼を訪ねると「すっかり魅せられた」。以後、斎藤はできた詩を海沼に送り続けた。その中には「星月夜(ほしづきよ)」もあった。
「里の秋」の共作でさらに距離は縮まり、交流は終生続いた。海沼の孫で、音楽史家の海沼実(みのる)(43)によれば、二人の手による作品は舞台発表分も含め三桁はあるという。
 海沼は「祖父にとって、斎藤先生は最高のビジネスパートナー」と語る。斎藤の詩の特徴は、子どもが分かる、やさしい日本語で表現された定型詩だ。ここに海沼が得意とする「感傷的で叙情性を感じさせる」(海沼実)旋律を融合したのが「里の秋」だ。
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斎藤は「星月夜」を「東北地方の片田舎に住む三人の親子」を想像し書いた。一方、もの悲しくも懐かしさを感じさせる海沼實の旋律には、外房の田園風景が一役買ったという。
いすみ市岬町岩熊。一面に水田が広がり、周囲を里山が囲む。海沼は戦中の四四年から戦後にかけ、多い時で月一回は訪れた。妻須摩子(すまこ)の姉が岩熊の法興(ほっこう)寺に嫁ぎ、二人の両親も寺近くに家を建て東京から移住した。両親の死後、海沼は建物を別荘として使った。
同寺住職の中村守正(72)は「創作の息抜きで訪れ、田園と山歩きを楽しんだようだ。岩熊の風景が頭に残り『里の秋』のモチーフになったと伝わっている」と語る。空気銃を肩にかつぎ、山歩きを楽しむ海沼の姿が、目撃されることもあった。
建物跡地は「童謡の里」として整備され、九二年には「里の秋」「蛙(かえる)の笛」の歌碑などが建った。「里の秋」を歌った川田正子の妹で童謡歌手としても活躍、海沼實の子で海沼実の母でもある海沼美智子は碑文で、「法興寺への参道から見渡す田園風景は、故郷松代の景色とよく似ていた。海沼はさまざまな思いをこめて、これらの曲をつくったに違いない」とある。
歌碑設置を記念し、いすみ市で毎年「ふれあいコンサート」が開かれている。海沼實が創設、孫の実が会長を務める東京の児童合唱団「音羽ゆりかご会」も毎年参加している。今年の開催日は十月二十五日。海沼実は「もちろん『里の秋』も歌います」と語る。 =文中敬称略
 (服部利崇)
<海沼 實(かいぬま・みのる)> 1909年、長野県松代町(現在の長野市)生まれ。童謡作曲家。「みかんの花咲く丘」「お猿のかごや」「からすの赤ちゃん」など未発表曲を含め童謡約2900曲を作曲した。児童合唱団の草分け、音羽ゆりかご会を創設。正子、孝子、美智子の川田三姉妹ら童謡歌手を多く育てるなど音楽指導者の功績もある。斎藤信夫とのコンビ作品は「里の秋」「蛙(かえる)の笛」「夢のお馬車」などがある。71年、62歳で亡くなる。