<戦後70年「里の秋」の願い>「敗戦の責任」教職退く:千葉 - 東京新聞(2015年10月12日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201510/CK2015101202000151.html
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斎藤信夫は一九四六年春から一年、教職を退いた。「私なりに敗戦の責任をとる」と、「童謡詩集 子ども心を友として」で説明している。
成東中時代の教え子、土屋力(つとむ)(73)=山武市=は「子どもの純粋さ、やさしさを詩にしてきた人だから、戦争はすべきでないと考えていたはず。ただ反抗したら教職を奪われ、詩も書けなくなると思い、流れに従った」と分析する。大勢に順応した生き方を反省し、一年謹慎したのが、事の真相とみる。
旧制中学三年の時に終戦を迎え、当時の学校教育を知る下野(しもの)幸雄(84)=山武市=は「私の周囲には、辞めた教師はいなかった。戦争には勝つ、などと子どもに教え続けたことに責任を感じ、けじめをつけた」とみる。
一方、斎藤の再就職活動は難航。「職さがしに歩いたが、世は就職難時代で、なかなか見つからない」(「童謡詩集」)。就職した会社が倒産したこともあった。物資不足の中、家族も養わないといけない。四七年春、教師に復職した。長女の斎藤春代(72)は「生活のためでもあった」と話す。