(戦後70年へ) 2人の遺品 時代を語る - 朝日新聞(2015年10月6日)

http://www.asahi.com/area/kanagawa/articles/MTW20151006150150001.html
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◆戦地から妻子に絵手紙■入隊直前に自死の若者
◇横浜であすから企画展
戦地で幼い一人娘と妻に宛てて絵手紙を書き続けた兵士、入隊直前に自死した若者。2人の遺品を集めた企画展「戦後70年〈戦争が奪ったもの〉をたどる」が7日、横浜市内で始まる。その品々からは、戦争に直面した人々の生き様と時代の空気が伝わってくる。
宮崎黎子(れい・こ)さん(73)=東京都足立区=の父、矢野金治さんは1942年、前年11月に生まれたばかりの宮崎さんと妻を残して旧満州に出征。家族への思いをつづったユーモアあふれる文章に漫画風の挿絵を添えた絵手紙を、何通も書いた。
まだ1歳の娘が絵本を読むまでに成長した姿を想像して描いた絵手紙には、「黎子も絵を見れば、何でも読めるようになっているように思われてこれを書く」とある。別の絵手紙では、寝転ぶ自分の姿に「黎子の事を夢に見たり、思い出したりして来ました。これは夢ではなく、思い出して居る図です」と書いた。
金治さんはその後、捕虜となり、35歳だった45年9月にフィリピンで「戦死」した。宮崎さんに父の記憶はないが、絵手紙を読むたびに「こまやかな心遣いが本人の言葉として伝わってくる」と言う。
地域のグループで女性史を学ぶ宮崎さんは「戦争体験者が減る中で、過去の歴史を継承していくことに難しさも感じるが、モノには説得力がある。見た人それぞれが考えてもらうきっかけになれば」と話す。
企画展には、学徒出陣で入隊する直前の43年11月に20歳の若さで命を絶った寺尾薫治(のぶ・じ)さんの遺品も並ぶ。薫治さんは当時、市立横浜商業専門学校(現・横浜市立大)を休学し、故郷の静岡市国民学校の教壇に立っていた。
兄の死について昨年、冊子にまとめた末弟の寺尾絢彦(あや・ひこ)さん(76)=横浜市戸塚区=は、兄が教え子に「軍隊の行進のザックザックという音が大嫌い」と話していたことを知る。「こんな戦争、勝てるわけがない」と言う兄を必死に止めようとする母の姿も覚えている。その母は晩年、「息子を人殺しにしなくて良かった」と話していたという。
絵や音楽が好きで童話も書いた薫治さん。寺尾さんは「兄が生きたのは『個』が認められなかった時代。そんな中で生きていくことがどういうことか、若い人たちに伝えたい」と話す。
横浜市青葉区あざみ野1丁目の「スペースナナ」で18日まで。月・火曜は休み。無料。10日午後2時から寺尾さんが「兄の育ったあの時代から平和について考える」と題して話す。参加費千円、先着20人。問い合わせはスペースナナ(045・482・6717)。
日高敏景)