(私説・論説室から)管理組合という民主主義 - 東京新聞(2015年10月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015100502000129.html
http://megalodon.jp/2015-1005-0930-26/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015100502000129.html

私事で恐縮だが、夏からマンション管理組合の理事を務めている。面倒だが輪番だし、そもそも自分の財産だ。誰かに任せきりにして、知らぬ顔を決め込むわけにもいかない。
平等に議決権を持つ組合員は「有権者」兼「国会議員」、年一回の総会は「国会」、総会で選ばれる各理事は「閣僚」で、理事長は「首相」、理事会は「内閣」と置き換えたら分かりやすいだろうか。
今のところ大きなトラブルはないが、常に頭を悩ませるのが、どこまでが理事会の裁量の範囲内なのか、ということだ。
築二十年もたつと、修繕が必要な箇所がいろいろ出てくる。緊急を要するものなら、すぐに対応しなければならないが、そうでないものはどうすればいいのか。少額なら理事会の裁量で対応できるだろうし、先送りして大規模修繕の時にまとめて直す手もある。
その際、常に従うべきは組合規約と事業計画など総会決議事項である。理事会にとって「憲法」や「法律」のようなものだ。組合員の負託の範囲内で活動するのは当然であり、逸脱は許されない。恣意(しい)的に「解釈」して、身勝手に振る舞うことなど、もっての外だ。
と、ここまで書いて、かの国の宰相のことが思い浮かんだ。憲法解釈の変更にためらいはなかったのだろうか。管理組合という、小さいけれども民主主義実践の場に身を置くからこそ、なおさら気になる。 (豊田洋一)