名張毒ぶどう酒事件 奥西死刑囚が死亡 第9次再審請求中 - 東京新聞(2015年10月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201510/CK2015100502000125.html
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三重県名張市で一九六一年三月、女性五人が毒殺された名張毒ぶどう酒事件で、殺人罪などで死刑が確定し、無罪を訴えて第九次再審請求中だった奥西勝死刑囚が四日、収監先の八王子医療刑務所(東京都八王子市)で死亡した。八十九歳だった。法務省によると、死因は肺炎だった。
奥西死刑囚の再審請求は親族が引き継ぐとみられるが、第九次請求は本人の死亡で事実上終了する。
奥西死刑囚は二〇一二年に肺炎で体調を崩し、名古屋拘置所から八王子医療刑務所へ移送された。一三年には呼吸困難で二度、一時危篤状態となり、回復後も寝たきりの状態に。今年八月下旬以降は、意識が回復しない状況が続いていた。葬儀は六日に都内で親族や弁護団、支援者らの密葬で行う。
七二年に死刑判決が確定した後、第七次再審請求で、名古屋高裁は二〇〇五年四月、犯行に使われた毒物はニッカリンTではないなどとする弁護側の新証拠を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認め、再審開始を決定。しかし、〇六年十二月、名高裁の別の部が取り消し。最高裁の差し戻し、高裁の再度の取り消し決定を経て、最高裁は一三年十月に再審を認めない決定をした。
弁護団は同年十一月、八度目の再審請求をしたが、最高裁に特別抗告中の今年五月に取り下げた上で、毒物に関する別の「新証拠」を基に、第九次請求を申し立てた。
名張毒ぶどう酒事件> 1961(昭和36)年3月、三重県名張市の公民館で開かれた懇親会で、白ぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒症状を訴え、うち5人が死亡。奥西死刑囚は妻、愛人との三角関係を清算するため、自宅から用意した農薬ニッカリンTをぶどう酒に入れたと自白し、殺人容疑などで逮捕されたが、起訴直前に否認に転じた。64年の津地裁判決は無罪、69年の名古屋高裁は逆転死刑。72年に死刑が確定したが、翌73年から再審請求を続けた。