奥西死刑囚死亡:無実訴え1万6825日 - 毎日新聞(2015年10月4日)

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無実を訴え続けてきた奥西勝死刑囚(89)が4日、死亡した。1969年9月10日に名古屋高裁で逆転死刑判決が出されてから1万6825日。奥西死刑囚と共に潔白を訴え続けてきた支援者らは「無念だっただろうに」と沈痛な面持ちで話した。【金寿英、加藤沙波】
◇支援者「無念だったろう」
奥西死刑囚が収監されていた八王子医療刑務所には4日夜、鈴木泉弁護団長や支援者らが駆けつけた。鈴木団長によると、奥西死刑囚はとても安らかな顔で、「長い間ご苦労様でした。あなたの無実の罪を晴らすまで頑張ります」と声をかけたという。奥西死刑囚の妹、岡美代子さん(85)も「よう頑張りゃあたなあ(よく頑張ったなあ)」と何度も言葉をかけたという。
特別面会人の稲生昌三さん(76)=愛知県半田市=は「気管切開して声が出なくなっても無罪を訴え、気力を持って生きてこられた。今後も、事件の真実を弁護団と明らかにしていく活動を続けたい」と力を込めた。
裁判は、1審無罪判決に対し2審で死刑が言い渡され、第7次再審請求で一度は出された再審開始決定が取り消されるなど揺れ続けた。逮捕当時35歳だった奥西死刑囚は年老い2013年5月以降、何度も危篤に陥った。
名張毒ぶどう酒事件に関する著作があり、12年6月に八王子医療刑務所で奥西死刑囚と面会したジャーナリストの江川紹子さんは「本当に無念だったと思う」と悔やんだ。車椅子に座り、点滴を受けながら現れた奥西死刑囚に声を掛けると、奥西死刑囚は「頑張ります」と答え、別れ際にはこぶしを握って小さく上下に振った。その姿から「自分は生き抜いて、冤罪(えんざい)を晴らすんだという強い気持ちが伝わってきた」という。
江川さんは「1審で無罪判決を受けており、どんなに遅くても7次請求の時に再審が開かれるべきだった。その後、開始決定を取り消した裁判所の判断は、一人の人間の人権や人生、科学的知見よりも、裁判所の無謬(むびゅう)性(誤りがないこと)やメンツを優先させた結果だったと思う」と語気を強め、「今後、再審請求については裁判所だけでなく、市民が参加して判断する仕組みに改めるべきだ」と訴えた。
NHK記者として奥西死刑囚を取材した元岐阜県御嵩(みたけ)町長の柳川喜郎さん(82)は「シロかクロか、詰め切れないまま本人が死んでしまい、割り切れなさがある」と複雑な表情を浮かべた。
当時の心証は「クロ」。しかし、捜査から再審のプロセスで、心証は揺らいだ。「取材者としても、いまだにすとんと腑(ふ)に落ちない。もっと生きていてもらいたかった」と話し、「裁判の原点である『疑わしきは罰せず』が妥当。検察が持っている証拠があるとすれば、これからでも出すべきだ」と、今後の再審請求の進展を願った。

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