「積極的平和主義」で戦死者を出し、安倍首相が窮地に立たされる日 (田岡俊次の戦略目からウロコ) - ダイヤモンド・オンライン(2015年10月1日)

http://diamond.jp/articles/-/79223

これから考えれば、日本が70年間戦争に加わらず、戦死者を出さなかったのは米国の同盟国だったから、ではなかろう。それよりは日米安保条約5条で「日本国の施政の下にある領域における」武力攻撃に対してのみ共同行動を取る、となっているため、米国は日本にベトナム戦争などへの参戦を求められなかったことが主な要素、と考えられる。

日米安保条約
第五条:
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない。
ARTICLE V
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and safety and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes. Any such armed attack and all measures taken as a result thereof shall be immediately reported to the Security Council of the United Nations in accordance with the provisions of Article 51 of the Charter. Such measures shall be terminated when the Security Council has taken the measures necessary to restore and maintain international peace and security.

米国の武力行使への協力を断る口実がなくなった
安倍首相は祖父が残した遺産とも言うべき安保条約5条を事実上放棄する決断をしたも同然だ。武田信玄が育てた歴戦の武将達の諫言を嘲笑して、長篠城外の設楽原で丘の上の織田、徳川軍の陣地に突進した武田勝頼や、パパ・ブッシュの注意を振り切ってイラク攻撃を行った2代目ブッシュ大統領の例を思わざるをえない。