(私説・論説室から)裁かれたヒトラーたち - 東京新聞(2015年9月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015092302000135.html
http://megalodon.jp/2015-0923-1819-19/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015092302000135.html

ドイツはすんなり「優等生」になったわけではないことが十月公開のこの映画を見てよく理解できた。西ドイツが自国で戦犯を裁いたアウシュビッツ裁判(一九六三〜六五年)実現の経過を再現。連合国によるニュルンベルク裁判でナチスの問題は決着したとの風潮が広がっていた五〇年代後半が舞台だ。
今では信じ難いが、アウシュビッツとは何かと問われても答えられない人が多く、収容所で殺人や残虐行為に関わった元ナチス親衛隊員らは、教師などをしながら平穏な生活を送っていた。彼らこそ、映画の題名となった「顔のないヒトラーたち」だ。
証拠は米軍が押収。被害者はつらい体験を話したがらず、親衛隊員の過去を隠して暮らす容疑者らの消息はつかみにくく、「父親が殺人者だったと疑いたいのか」など捜査への批判も強かったが、検事らの執念で二十二人が起訴され、大半が有罪になった。裁判をきっかけに、自国民がアウシュビッツなどで行った戦争犯罪を反省し繰り返すまいとする歴史認識が広まり、常識となっていった。
ドイツの「過去の克服」の優等生ぶりだけでなく、その陰にあった葛藤を知ることは、なお歴史認識に悩むこの国に住む自分を、ちょっぴり勇気付けてもくれる。
十月にはヒトラー暗殺秘話を描いた映画「13分の誤算」も公開される。ドイツ現代史を興味深く学べる好機が続く。 (熊倉逸男)

映画『顔のないヒトラーたち』公式サイト
http://kaononai.com/
10月3日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町&新宿武蔵野館(モーニング&レイトショー)ほか全国順次ロードショー

関連サイト)

佐藤健拓殖大学教授による5月の日本記者クラブでの会見

記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年6月号に掲載)

日本との比較の論点 加害者意識欠けるのでは
1968年、ドイツのホームステイ先で、第二次大戦を「日本が3カ月余計に戦った」と妙なほめられ方をされて以来、戦後の日本とドイツの比較を問題意識として持ち続け、第一人者として語り続けてきた歩みを振り返った。日本からドイツを見る目は、故ワイツゼッカー大統領演説をきっかけにした「ドイツ理想視・モデル論」、その反動の「偶像破壊論」などと変遷してきた。自らは、比較し、学び、参考にする、という姿勢だと位置付ける。
日独とも戦時の加害責任を問われるが、ドイツは戦争に対する反省よりもナチズムによる人権侵害への責任意識が強いと指摘。日本は加害者意識が欠けているとし、理由として、日本人は開戦ではなく終戦の視点から戦争をとらえているからだとした。ドイツの「過去の克服」とは、「現在の国家が戦前とは異なることの証を立て続けること」だとし、加害者の追及▽被害者の救済・補償▽再発防止―の3つが補完し合い、同時進行してきたと説明する。日独最大の違いとして、日本は米国さえ何とかすればいいという意識で、アジアへの目配りがおろそかになっていたことを挙げた。

東京新聞中日新聞論説委員
熊倉 逸男

「ドイツの戦後和解」③過去との取り組みの日独比較 2015.5.13

会見詳録(文字起こしpdf)
http://www.jnpc.or.jp/files/2015/05/cfbfdcb0b53e49ef7e97847db83981d0.pdf