言わねばならないこと <特別編>「若者」なぜ立ち上がる 作家・高橋源一郎氏

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2015091802000206.html
http://megalodon.jp/2015-0918-1041-58/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2015091802000206.html

◆個人の声こそ民主主義
今回、「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」の若者をはじめ一般の市民が声を上げたのを見て、これは六〇年安保、七〇年安保に続く「第三次安保闘争」だと思いました。「おかしい」と思ったとき、普通の人が抗議に行く。脱原発デモによって国会前で抗議するスタイルができて、国会前が公共の場、政治の場になった。これは3・11後にできた新たな政治習慣です。
国会に呼ばれた憲法学者が、安保関連法案を「違憲だ」と断言し、多くの人がおかしさに気付きました。そもそも政党が百も二百も公約を掲げて当選しても、公約すべて承認されたと思うのは大間違いです。
議会制民主主義で有権者は政治家に権限を委譲する。しかし「全て」を委ねたわけではありません。だから人々が「公(おおやけ)」に参加することで補完しなきゃいけない。デモをやり、集会をやり、発言する。そうやって不断に隙間を埋める必要があります。
「シールズ」の学生との対談本を出しました。いつの間にか、「政治的なことを発言するのは特殊」という社会になってしまった。それが今回、まっとうな「公」の感覚で、若者が声を上げたのはとても大切なことです。それは古代ギリシャ民主制の「すべての市民は公の責務を負う」考え方に通じています。
たとえば「シールズ」の奥田愛基(あき)君は、東日本大震災のボランティア経験が今の活動につながったと思います。共同体の一員として、困っている人がいれば助けるのも公の感覚です。教え子でもある奥田君に「個人の言葉で語った方がいい」と助言したことがあります。組織で運動すると、やがて組織の維持と拡大が目的になっていきます。第一次、第二次安保闘争は組織が中心。一方、ベ平連は普通の人が行ける場を目指しました。その考えは今重要です。
ブランショは著書『明かしえぬ共同体』で、公的な共同体の理想の形は、組織ではなく、一時的な共同体だと言っています。市民が自発的に突然集まり、集会をし、目的が達成されれば解散する。突然、公的な声が可視化され、そして消える。国会前に三十万人が集まり、三々五々消えていくのも同じだなと。
現政権には特定秘密保護法から憲法改正に至るストーリーがあります。だから安保関連法が成立しても終わりではありません。憲法違反の法なのだから違憲訴訟も起きるでしょう。やることはいっぱいある。「おかしい」と思ったら粛々と声を上げていく。それこそが民主主義です。 
<たかはし・げんいちろう> 1951年生まれ。明治学院大教授。81年「さようなら、ギャングたち」でデビュー。近著に「高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ?」。