余録:歩道からすまして何気なく入って来る人… - 毎日新聞(2015年9月16日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20150916k0000m070164000c.html
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「歩道からすまして何気なく入って来る人、怒ったような顔で入る人、笑顔で加わる人……傘を持ったサラリーマン、若い女性、主婦、高校生……勿論(もちろん)プラカードもなにもない」。国会デモだが、今のではない。55年前の60年安保の話だ。
全学連の国会突入が思い浮かぶ反安保デモだが、先の今日風のデモは当時の岸信介(きし・のぶすけ)首相の発言がきっかけだった。「国会周辺は騒がしいが、銀座や野球場はいつも通りだ。私には“声なき声”が聞こえる」。この「声なき声」を逆手にとった市民参加型のデモだった。
デモが空前の規模となったのは、強行採決への反発からである。「民主主義よ よみがえれ」と訴える集会に参加、「私は集会やデモに背をむける人間だが、今度ばかりは越えさせられぬぎりぎりの一線を感じ立ち上がった」と言うのは若き日の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)氏だった。
さて安保法案反対のデモが続く今日、岸氏の孫の安倍晋三(あべ・しんぞう)首相は言う。「祖父は、50年たたねば(安保改定は)評価されないと言ったが、20年ぐらいで評価された」。まるで祖父の事跡にならうかのように、国民の支持の広がらぬ中で法案成立を求めることとなった。
「成立すれば、やがて理解は広がる」との首相発言が、さらにデモを増やす展開も55年前を思わせる。だが参加者が抗議するのは、60年安保もまたぐ時の試練を経た戦後日本の国のかたちが変わる全く新しい事態である。国民の理解を得ぬまま進められる話ではない。
「政策形成者は通常歴史を誤用する」と説くのは米歴史家のE・メイである。まさか首相は国会デモの多さが自らの正しさの証(あか)しだと勘違いしてはいないか。