参院審議、大詰めへ―「違憲」法案に反対する - 朝日新聞(2015年9月10日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S11956856.html?ref=editorial_backnumber
http://megalodon.jp/2015-0910-1058-18/www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_pickup_p

新たな安全保障関連法案の参院審議が大詰めを迎える。自民党総裁選で再選された安倍首相は来週、法案の採決に持ち込み、成立させる構えだ。
だが、法案に対する世論の目は相変わらず厳しい。
朝日新聞の8月下旬の世論調査では法案に賛成が30%、反対は51%。今国会で成立させる必要があると思う人は20%、必要はないと思う人は65%だった。
多くの専門家が法案を「憲法違反」と指摘し、抗議デモが各地に広がる。国民の合意が形成されたとはとても言えない。それなのに政府・与党が数の力で押し切れば、国民と政治の分断はいっそう深まるばかりだ。

■多様に広がる反対論
改めて安倍政権に求める。
違憲」法案の成立を強行することは許されない。法案は廃案にし、出直すべきだ。
安倍政権は中国の台頭などを念頭に、日本を取り巻く安全保障環境が変化したのだから「集団的自衛権の限定的な行使容認が必要だ」と主張する。これに賛同する国民も多い。
一方で印象深いのは、護憲論から改憲論にまで広がる、反対論の多様性である。
先の大戦を反省し、戦後日本が守ってきた平和主義を捨ててはならない」という指摘。
「中東などで自衛隊の活動を拡大すれば、かえって敵対感情を招きかねない」と懸念するNGO(非政府組織)関係者。
憲法を改正すべきだ。解釈改憲集団的自衛権を認めるのは、憲法が権力を縛る立憲主義に反する」との意見もある。
これらの反対論に、政権は耳を傾けようとはしない。
法案を「違憲」と断じた最高裁の山口繁・元長官の指摘に対し、中谷防衛相が「現役を引退された一私人の発言」と語ったのは象徴的だ。「専門知」への敬意が決定的に欠けている。

■欠落する法的安定性
政策上、集団的自衛権の行使を認める必要がある。それが政権の主張だ。だとすれば国民に正面からその必要性を説き、憲法改正を問うのが筋である。
事実、首相が「憲法を国民の手に取り戻す」と訴え、憲法改正の発議要件を下げる96条改正を訴えた時期があった。視線の先には9条改憲があった。
これが立憲主義に反すると批判を浴びるや、首相は解釈改憲にかじを切る。
少人数の閣僚だけで閣議決定し、圧倒的な与党の数で法案を通し、実質的な改憲をはかる。国民の合意形成という手順を省き、政府・与党の閉ざされた合意だけで事を済ます。
いま、憲法は国民の手から奪われようとしている。
その結果、二重三重の意味で法的安定性が揺らいでいる。
政府が国会でどんな答弁をしても、覆される疑念がぬぐえない。首相がいくら否定しようと、いつか徴兵制が導入されるのではという国民の不安が消えないのは、そのためだ。
法案成立後は違憲訴訟が相次ぐ公算が大きい。政権交代があれば、憲法解釈が再び変わる可能性もある。政権は、集団的自衛権の行使ができる「存立危機」の概念すらあいまいなまま押し通す構えだ。恣意(しい)的な運用に対する歯止めが欠落し、政府の裁量を広げている。
こうした不安定な状況で、自衛隊を危険な海外任務に送り出すことがあってはならない。

■問われる9条の重み
もう一つ、法案が揺さぶっているのは憲法9条の重みだ。
自衛隊の海外展開の任務と範囲を拡大し、米軍など他国軍との連携を強め、中国への抑止力を高める。憲法9条を安全保障上の阻害要因とみてその意味を小さくし、国際社会での軍事的な役割を拡大する――。
安倍政権の掲げる「積極的平和主義」がそうした方向性だとすれば、海外の紛争への直接的な関与から一定の距離をとってきた戦後日本の平和主義とは、似て非なるものだ。
もう一度、9条のもつ意味を考えてみたい。
時に誤った戦争にも踏み込む米国の軍事行動と一線を引く。中国や韓国など近隣諸国と基本的な信頼をつなぎ、不毛な軍拡競争に陥る愚を避ける。平和国家として、中東で仲介役を果たすことにも役に立つ。
現実との折り合いに苦しむことはあっても、9条が果たしてきた役割は小さくない。
確かに、米軍と自衛隊による一定の抑止力は必要であり、その信頼性を高める努力は欠かせない。そうだとしても、唯一の「解」が、「違憲」法案を性急に成立させることではない。
国際貢献についても、自衛隊派遣の強化だけが選択肢ではない。難民支援や感染症対策、紛争調停など多様な課題が山積みである。9条を生かしつつ、これらの組み合わせで外交力を高める道があるはずだ。
数の力で、多様な民意を一色に塗りつぶせば、国民が将来の日本の針路を構想する芽まで奪うことになる。