高校・大学生がつなぐ 平和都市宣言30年の港区 記念冊子で初の試み:東京 - 東京新聞(2015年8月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150828/CK2015082802000125.html
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平和都市宣言をして今年で三十周年の港区は、区民に募集した戦争体験手記をまとめた記念冊子づくりを進めている。五周年、二十周年に続き三回目で、今回初めて、区内在住・在学の高校生や大学生が夏休みを使って戦争体験者から話を聞き、まとめる手法も取り入れた。平和への思いを若い世代へバトンタッチしたいという思いを込めている。 (柏崎智子)
「都会の真ん中に住んでいた者にとって、食べることが本当に大変だった。サツマイモの根まで食べましたから」
港区に生まれ育ち、今も区内に住む速記者、佐々木光子さん(90)の聞き取りに参加したのは、東海大三年堀内史誉(ふみたか)さん(21)、愛国高三年藁谷(わらがい)結さん(18)、郁文館グローバル高三年千保木蘭(らん)さん(17)、同三年保科彰斗さん(17)の四人。佐々木さんの語る七十年前の日本の話は、四人にとって想像を超えた世界だった。
空襲警報が鳴るたび防空壕(ごう)へ避難するが「自宅の庭に穴掘って、トタン板をかぶせたくらいのもの。今思うと、機銃掃射でも穴が開いたんじゃないか」。千保木さんは「防空壕って、行政が作ってくれたのではないのですね」と驚いた。佐々木さんは「行政は庶民になんか手が回らなかった。すべて自己責任でしたよ」と説明した。
「GHQ(連合国軍総司令部)のジープ(小型四輪駆動車)がたくさん走り回るのを見て、日本は負けたんだと実感した」と佐々木さんが話すと、藁谷さんは、「ジープ」の意味を尋ねた。佐々木さんは「ジープも通じない時代になったのね」と感慨深げだった。
深刻な食糧難で両親が新橋の闇市へ通ったこと。生きるため、米軍の相手をする「パンパン」と呼ばれる女性たちが日比谷公園千代田区)周辺に大勢現れたこと。「そういうことが、東京のど真ん中であったんですよ」。しみじみ語る佐々木さんの話に、四人は圧倒されるようにうなずいた。
堀内さんが「今後、戦争体験者がいなくなる。どう受け継げばいいか」と質問すると、佐々木さんは「戦争はよそごとではなく、東京のど真ん中で空襲があったことを忘れないで。国の動きを自分で考え、話し合うことが大事。戦争で得する人はいないことを伝えてほしい」と願いを託した。
話を聞き終え、藁谷さんは「教科書では実感がわかなかった。知らなかったことをいろいろ教わり、今日一日で消化しきれないが、時間をかけて理解したい」と話した。保科さんも「具体的に聞けてよかった。戦争を自分のこととして考えていきたい」と語った。
聞き取りには大学生と高校生十六人が参加し、計十人の体験者にインタビューする。区は、来春までに冊子と、聞き取りの様子を収録したDVDを発行する予定。冊子に載せる手記は、引き続き募集している。
問い合わせは、区総務課人権・男女平等参画係=電03(3578)2025=へ。