平和の尊さを胸に刻む 鹿沼の中学生が広島で平和学習:栃木 - 東京新聞(2015年8月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20150818/CK2015081802000163.html
http://megalodon.jp/2015-0818-0933-17/www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20150818/CK2015081802000163.html

70年前に原爆が投下された広島市で、5〜7日に2泊3日の平和学習に取り組んだ鹿沼市の中学生たちが17日、市内の市民情報センターで成果を報告した。市は1997年から各校の生徒代表を広島市に派遣しており、今年は報告会を初めて一般に公開。市民ら約30人の前で、生徒たちは「戦争は二度としてはいけない」と口々に語り、平和を守る決意をにじませた。 (大野暢子)
派遣では、市内の全十中学校から三年生の男女計二十人が参加。原爆が投下された六日は平和記念式典に参列し、夜には近くの元安川(もとやすがわ)へ慰霊の灯籠を流した。原爆ドームや平和記念資料館も見学し、実際に被爆者から体験を聞いて、悲惨な被害の実態に触れた。
粟野中学校三年の渕上(ふちかみ)大輔君は、平和記念資料館の展示で見た、皮膚のただれた被爆者の姿に衝撃を受けた。報告では、「三日間で学んだことを家族や友達に伝えるのが僕の使命だ」と誓った。
東中学校三年の鈴木文萌(あやめ)さんは報告で、十代半ばで原爆を体験した男性の講話を紹介。男性はやけどが悪化し、一時は生死の境をさまよった。必死で看病してくれた母は、わが子の苦しむ姿に耐えきれなくなったのか、悲痛な表情で男性に「死ね、死ね」と繰り返したという。
「血のつながった家族に死ねと言うことは、お互いどれほどつらかっただろうか」と鈴木さん。他の生徒からも「原爆を語り継いできた人々に敬意を感じた」「後遺症に苦しむ人や、悲しんでいる遺族がいる限り、戦争は終わっていない」といった声が聞かれた。
報告を聞いた佐藤信市長は生徒たちに、「ほとんどの人が平和を願うにもかかわらず、戦争を始めるのはいつも人間だ。これからも平和について考え続けてほしい」との言葉を寄せた。