「もう二度と戦争しないで」 日本人遺族、平壌で墓参 - 東京新聞(2015年8月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015081702000049.html
http://megalodon.jp/2015-0817-1546-23/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015081702000049.html

平壌=共同】終戦前後の混乱期に現在の北朝鮮で病気や栄養失調のため死亡し、平壌の竜山(リョンサン)墓地に埋葬された日本人の遺族らでつくる「平壌・龍山会」の墓参団六人が十六日、現在の埋葬地とされる郊外の丘陵地を訪れた。六人のうち遺族は四人。墓標を立てた盛り土に手を合わせ、故人をしのんだ。
終戦前、北東部の清津で暮らしていたが、父は召集された後に行方不明となり、母や姉らと平壌にたどり着いた横浜市戸塚区の長島康夫さん(78)は、学校の体育館などの収容所で一年ほど生活した。一九四六年春に十七歳で息を引き取った姉悠紀子さんの亡きがらを、むしろを敷いた大八車のようなもので運んでいく母の姿を覚えている。
自身の訪朝墓参は今回が二度目。「遺族が二度、三度とお参りできる仕組みをつくってほしい」と話した。
満州・新京から引き揚げる途中、三歳の弟をみとった千葉県船橋市の新井マスミさん(76)は「母は入院中でおらず、私が弟の面倒を見ていた。冬だったのでとにかく寒いし、怖かった」と当時を振り返る。
「弟はどうして自分が死ぬのか分からないまま死んでいった。もう二度と戦争はしてほしくない」と声を詰まらせた。
朝鮮半島からの引き揚げ者で、龍山会会長の佐藤知也さん(83)によると、竜山墓地には日本人二千四百人以上が埋葬された。埋葬者名簿や埋葬場所を示す図面が残されたが、都市開発による二回の移設で、個人の埋葬場所は特定できなくなっている。