軍都の記憶(2)横須賀基地 反戦訴え働くジレンマ:神奈川 - 東京新聞(2015年8月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150815/CK2015081502000138.html
http://megalodon.jp/2015-0815-0926-51/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150815/CK2015081502000138.html

基地の現実に身を置きながら反基地を追求してきた二人はいま、「軍」への抵抗感の薄れを懸念する。集団的自衛権行使容認や武器輸出三原則見直しで、これまでとは別次元の動きが出ている中で違和感は募る。「横須賀も最近は『軍都』を売り物にする傾向が目立つ。ミリタリーショップは大盛況、海軍カレーの大売り出し。これでいいのだろうか」  (原昌志)
<横須賀海軍工廠と米海軍艦船修理廠(SRF)> 戦前、横須賀にあった旧日本海軍工廠は、太平洋戦争で真珠湾攻撃に参加した空母「飛龍」「翔鶴」などを建造。大戦末期には特攻兵器「海龍」も生産した。乾ドックなどは現在も現役で使われている。戦後はSRFが施設や人員を継承。一方、86年のミッドウェー改修には、旧海軍や自衛隊の艦船を手掛けた浦賀船渠(浦賀ドック)を前身とする住友重機械工業が従事した。SRF設計部長などを歴任した関口丈信さん(59)は「大掛かりな工事で、SRFだけでは対応できなかった。現在も空母の甲板の滑り止め処理などは、外部に担ってもらっている」と民間の貢献度の高さを話す。