<千葉から語り継ぐ戦争> 終戦の「立役者」鈴木貫太郎 孫が語る実像:千葉 - 東京新聞(2015年8月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20150814/CK2015081402000169.html
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日本が太平洋戦争終結に踏み出したポツダム宣言受諾から、14日で70年。その舞台裏を描いた映画「日本のいちばん長い日」が全国で公開されている。軍部の暴発を抑え、終戦に導いた立役者の1人として登場するのが、野田市関宿町出身で、時の首相だった鈴木貫太郎(1867〜1948年)だ。鈴木はどんな人物だったのか。孫の道子さん(83)=東京都文京区=らの証言を手掛かりに、映画を通じてあらためて考えた。 (内田淳二)
鈴木は映画やテレビドラマで何度も描かれ、俳優の笠智衆さんや森繁久弥さんが演じてきた。幼いころ、鈴木のそばで暮らした道子さんはしかし、物足りなさを感じていたという。
「確かに耳は遠くなっていたが、枯れた人ではなかった。威厳のある今回が一番、祖父らしい」。今回の鈴木役は山崎努さん。おっとりとしながらも、強い意志を秘めた人物として演じている。
映画には鈴木の長男で、道子さんの父一(はじめ)さんも登場する。一さんは当時、農林省を辞めて鈴木の首相秘書官に就いた。「祖父は二・二六事件青年将校に襲われ死にかけている。今度もいつ襲われるか分からない。父は後年、『ボディーガードのためだった』と話していた。祖父も父も、終戦のため身を捨てる覚悟だったのだと思う」と道子さんは振り返る。
今作で脚本も手掛けた原田真人監督の見方は、道子さんと一致する。野田市であった試写会の舞台あいさつではこう愛情たっぷりに語った。「私にとっては理想のおじいちゃん。貫太郎さんが総理にならなかったら、天皇の『聖断』もかなわなかっただろう」
歴史にはさまざまな見方がある。鈴木に対しては、なぜもっと早く、原爆投下の前にポツダム宣言を受諾できなかったのか、という批判の声もある。原田監督は終戦の過程について研究を重ね、撮影に臨んだ。原爆投下は、米国側が後の対ソ連関係などを考えていた側面があり、内閣の動きとはまた違った力学も働いていたとの立場だ。
ただ、映画ではこうした国際情勢は省略。内閣や軍部の面々が入り乱れる群像劇で、各人物の説明も極力省いた作りになっている。音楽評論家で、映画にも造詣の深い道子さんは「かなりテンポが速い。ある程度背景を理解していた方がより楽しめそう」と話す。
原田監督も「今はまたおかしな方向に国が進んでいる。戦争を知らない世代は、歴史を学ばなければならない。貫太郎さんについてはもっと語られるべきだ」と思いを語っている。

鈴木貫太郎> 現在の野田市関宿地区にあった関宿藩の士族の長男として出生。海軍大将となり、天皇のそばに仕える侍従長も経験した。1945年4月、天皇に「もうほかに人はいない」と請われ、77歳にして首相に就任。天皇出席の下で儀式的に開かれていた御前会議で、天皇自身の「聖断」を仰ぐ禁じ手を用い、ポツダム宣言の受諾につなげたとされる。本土決戦も辞さない陸軍強硬派のクーデターの恐れがある中、慎重に事を運んだ姿はよく「腹芸」と評される。