被爆70年の日本 核なき世界近づけるには - 朝日新聞(2015年8月10日)

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「平和を願う多くの人々が積み上げてきた核廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません」
原爆投下から70年、9日の長崎平和祈念式典で、「平和への誓い」を述べた被爆者代表の谷口稜曄(すみてる)さん(86)は、参院で審議中の新たな安全保障関連法案に強く異議を唱えた。
広島、長崎の平和式典に参列した安倍首相に、被爆地の視線は厳しかった。被爆者団体はそろって安保法案の撤回を要求したが、首相は拒んだ。
被爆地、被爆者と、被爆国のリーダーの間に深い溝が横たわる。70年の悲しい現状だ。
このままで、日本が世界の核廃絶をリードできるだろうか。
■戦争への懸念
「死没者が安らかに眠れない日本にしてはいけない」
広島で安倍首相と面会した被爆者の吉岡幸雄さん(86)も安保法案をこう非難した。
安倍首相は「(法案成立で)日米同盟が完全に機能することを発信し、紛争を未然に防ぐ」と答え、理解を求めた。
中国の軍事力は増大し、海洋進出の動きも活発だ。北朝鮮は核・ミサイル開発を続ける。
安保法制で日米同盟の抑止力を高め、日本が攻撃される危険性を減らす、というのが政権側の説明だ。
だが、被爆者は、抑止力にこだわる安倍首相の姿勢自体に懸念を抱く。「こっちが武力で押さえつけようとすれば、相手は核で対抗しようとするんじゃないか」と吉岡さんは言う。
朝日新聞被爆者アンケートでは、日本が戦争の当事者になる可能性について、「ある」と回答した被爆者が3割いた。
軍事偏重の考え方が周辺国との緊張を高め、この国を再び戦争に巻き込むのではないか。
被爆者が口にする不安は、多くの国民が共有するものだ。
■変わらぬ核依存
日米同盟の根幹は、米国の核兵器で他国からの攻撃を防ごうとする「拡大抑止」の考えだ。いわゆる「核の傘」である。
安倍政権は、核の傘に依存する姿勢をみじんも変えない。
13年末の新防衛大綱は「核抑止力を中心とする米国の拡大抑止は不可欠」とした。今春改定された日米防衛協力のための指針(ガイドライン)にも「米国は核戦力を含め、拡大抑止を日本に提供する」と明記された。
オバマ米大統領は、安全保障政策上の核兵器の役割を縮小しようとしてきた。核の脅しで安全を保とうとする抑止論をとる限り、大胆な核軍縮は望めないからだ。
10年の核戦略見直し(NPR)では、「核兵器の唯一の目的を、米国と同盟国への核攻撃の抑止に限定する」との目標を掲げた。核攻撃を受けない限り、核を使わない「先制不使用」政策が視野にある。
ただ、実現に向けた大きな壁が、中国、北朝鮮への対抗上、核攻撃の選択肢を排除したくない日本であるというのが、多くの専門家の見方だ。
安倍首相は広島の式典で非核三原則に言及しなかった。94年以降の歴代首相で初めてだ。
核兵器を「持たず」「作らず」「持ち込ませず」は、歴代内閣が継承してきた政府の基本方針である。批判を浴びた首相は長崎の式典では「非核三原則の堅持」を明言したが、その姿勢への疑念は深まった。
核兵器のない世界」への決意が本気なら、必要なのは行動だ。4月の訪米時にオバマ氏と出した共同声明では、核の非人道性にも踏み込んだ。核の傘をどう狭め、脱却していくか。米国と方向性を協議すべきだ。
■地域非核化へ先導を
松井一実広島市長は今年の平和宣言で「対話を重ねて得られる信頼を基礎に、武力に依存しない安全保障の仕組み」をつくろう、と世界に呼びかけた。
対話を通じた信頼醸成。それは今の安倍政権に最も欠けているものといっていい。
田上富久長崎市長は平和宣言で「北東アジア非核兵器地帯を設け、核の傘から非核の傘への転換を」と日本政府に求めた。
南北朝鮮と日本で核兵器の製造や保有を禁じ、核保有国の米国、ロシア、中国には、この地域への核攻撃や威嚇をしないと約束させる構想だ。
中南米、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアの5地域ではすでに非核兵器地帯条約が発効している。
長崎大核兵器廃絶研究センターは今年春、北東アジア非核兵器地帯実現への道筋を提言にまとめた。北朝鮮をめぐる6者協議を再開し、包括的な協定締結を目指すべきだとする。
被爆国であり、非核三原則を持つ日本がまず、各国に協議を呼びかけるべきではないか。
冷戦期に生まれた核抑止論が、今も北東アジアで幅をきかせている。この地域が非核兵器地帯になるなら、「核兵器のない世界」は確かに近づく。
それこそが、被爆者の悲願にこたえる道である。