熱風私をかばった母…元プロ野球選手 張本勲さん75 - 読売新聞(2015年8月9日)

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差別、貧困…「折れない心」に
敗戦時の日本には、朝鮮出身者が200万人以上いたとされる。日韓併合以来の土地再編などで生活基盤を失った人や、労働力として渡来してきた人もいた。広島に落ちた原爆では、数万人もの朝鮮出身者が被爆した。張本さんの家族もそうだ。
やけど、原爆、父の死、貧しさ、差別。これでもかという試練を振り返る張本さんに見るのは「折れない心」だ。右手を人に見せなかった選手時代。母の苦労は「大変だが当たり前と思っていた」。受け入れることで鍛えられた、鋼のような人間性が、あの野球人生につながったのだと思う。
でも改めて戦争という視点で見ると、植民地とされた母国から日本に渡り、原爆に遭い、帰国もできずに運命が変わっていく流れが見える。張本さんの人生は、戦争が突き付けた現実との戦いでもあったはずだ。日本と韓国という近くて遠い二つの国の、今に至る相克の中で。
戦後70年。私たちは原爆や引き揚げなど、被害者としての戦争体験を通じ「あの夏」を振り返ることが多い。でも被害と加害の立場が実は、複雑に絡み合っているという現実も、見つめていくべきなのだろう。(結城)

8月8日(土)ムネオ日記 - 鈴木宗男さん(2015年8月8日)
http://blogos.com/article/127231/

読売新聞1面「戦後70年あの夏」シリーズものに目を通しているが、8回目の今日は元プロ野球選手の張本勲さんだった。

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張本さんは冒頭「人間には知恵がある。互いに引くところは引き、話し合えば片付かないものはないというのになぜ争うのか。政治は分かりませんが喧嘩してもどっちにもマイナス。その最たるものが戦争です」と言っている。その通りである。この張本さんの思いを共有することにより平和で安心した社会になるのである。
久し振りに心にしみる話に触れ、勉強になった。人それぞれに人生航路があり、その人生の中で人物が作られ、世に出て行くことを歴史は照明しているとつくづく思ったものである。
温室に大木なし(恵まれた環境では人材が生まれない)、寒門に硬骨あり(厳しい環境から人材が生まれる)である。