戦後70年 語り継ぐ(2)記憶のバトン伝達 悲惨な体験と向き合う:群馬 - 東京新聞(2015年8月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150804/CK2015080402000171.html
http://megalodon.jp/2015-0804-0939-06/www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150804/CK2015080402000171.html

「船がばくげきをうけ、人が海に投げ出される様子はまるで水にうかぶナスのように無防び」「いっしょに山をこえて野宿した仲間が、次の日の朝、となりでなくなっていた」
吉田愛美さん(11)=藤岡市立美九里東小五年=は、母純子さん(41)から聞いた曽祖父の戦争体験を生々しく描写した。
曽祖父中野一郎さんは、太平洋戦争の激戦地となった東部ニューギニア(現パプアニューギニア)戦線に出征。二〇〇八年に九十三歳で亡くなった。
純子さんは小学校高学年の時、新聞やテレビで戦争に関心を持って祖父に尋ねたことを覚えている。
「相手と戦わないと、生きていけなかった。そんな戦争の現実を、子どもの私を気遣って言葉を選んでくれていたように思う。ゲートルの巻き方も教えてくれました」と純子さん。
「私たちは戦争を知らない世代。祖父にもっと聞いたり、記録しておけばよかった」と悔やむ。
作文をきっかけに、純子さんは愛美さんと戦争について話し合うようになった。「今こんなに平和に何不自由なく生きられ、食べられることが、ありがたい」。祖父のそんな生前の言葉や戦争の記憶も伝えた。
愛美さんは戦争の放棄をうたった憲法九条について「いろいろな話し合いや運動が起きています」と触れ、率直な思いをこうつづった。
「戦争を知らない人達が、戦争で苦しんだ人達の声を聞かないで、なんでも勝手に決めてしまうのはとてもこわいことです。わたしはぜったいに戦争をくり返してはいけないという思いを伝えたいです」
 戦後の安全保障政策の大きな転換につながる安保法案が国会で審議されている。二児の母の純子さんは「戦争をする国になって自衛隊に入る人が少なくなったら、徴兵制になることはないのか」と心配する。
     ◇
藤岡市遺族の会が二〇一四年に募集した「戦争と平和についての作文・感想文コンクール」の作品について、一部を遺族の会の了解を得て原文のまま紹介します。 (大沢令)