<千葉から語り継ぐ戦争>原爆の火 ともし27年 流山の坂さん「平和で民主的な日本であって」:千葉 - 東京新聞(2015年7月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20150726/CK2015072602000149.html
http://megalodon.jp/2015-0726-1038-15/www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20150726/CK2015072602000149.html

広島の原爆の残り火からともされた「原爆の火(平和の火)」。流山市の元教諭、坂光弘さん(87)は「早く核兵器をなくそう」と反戦反核を願い、三十年近く自宅で見守ってきた。戦後七十年を迎える今夏は、そのまなざしに懸念がよぎる。他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案の国会審議が進み、平和国家が岐路に立っているからだ。「平和で民主的な日本であってほしい」。思いは強まるばかりだ。 (飯田克志)
原爆の火は一九四五年、軍隊に召集され広島市郊外にいた山本達雄さん(二〇〇四年死去)が、原爆で焼け落ちた市街地にあった叔父の書店跡で残り火を見つけ、カイロに移して故郷の旧福岡県星野村(現八女市)に持ち帰り保存。六八年に同村が「平和の塔」を建て、火を継承。平和のシンボルとして各地に分けられてきた。