司馬遼太郎さんは、二十二歳で終戦を迎えた。学徒出陣した司馬さんが所属する戦車隊は… - 東京新聞(2015年7月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015071002000121.html
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司馬遼太郎さんは、二十二歳で終戦を迎えた。学徒出陣した司馬さんが所属する戦車隊は、本土決戦に備えるために、中国東北部から北関東に移されていた。米軍が関東平野に上陸したなら、急ぎ南下して迎え撃つことが任務だった。
だが米軍が上陸すれば、大八車に荷物を積んで逃げる人々が道にあふれるだろう。そこを戦車で行けるのか。そんな疑念に大本営の参謀は答えたという。「轢(ひ)っ殺してゆけ」。
司馬さんは、書いている。<大八車を守るために軍隊があり、戦争もしているというはずのものが、戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなるのである>(『歴史と視点』新潮文庫

組織や集団の論理というものは、暴走の危険を潜ませるものだ。防衛本能というのは個人にも組織にもあるが、組織のそれが独り歩きを始めたとき、止めるのは難しく、往々にして組織の底辺にいる人が切り捨てられる。
大切なトモダチを守れなくてもいいのか? トモダチが自分のかわりに襲われた時、座視していていいのか? 首相がそんな例え話で安保法制の必要性を訴えている。
個人の論理ならば、助けるのは当然だ。しかし今論じられているのは、国家の論理だ。その暴走をどう防ぐか。トモダチの論理で割り切るには、あまりに危険で、複雑な問題だ。