最後に政治家を縛るものは何か? (岡田憲治さん) - HuffPostJapan(2015年7月6日)

http://www.huffingtonpost.jp/kenji-okada/politician_b_7729434.html
http://megalodon.jp/2015-0707-1018-37/www.huffingtonpost.jp/kenji-okada/politician_b_7729434.html

<安保法制案審議の領域を超えた事態>
安保法制審議が建設的な議論ぬきで強行採決される見通しを各種メディアは報じている。異例の会期延長が決定した時から、おおよその展開は見通せたが、多くのメディアや有権者も「いくらなんでもそれをやったらおしまいだろう」という、「悲痛なる希望的観測」を持っている(これが過去形にならないことを祈るばかりだが)。
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それは、「最後の最後に政治家を縛るものは何か?」という問いである。そして、これを考える格好の事例が一つの映画によって提供されている。
違憲州法に抗した1965年「セルマ行進」>
昨年アメリカで公開された映画『グローリー/明日への行進』は、デモクラシーをぎりぎりで担保するものが何であるかを我々に突きつけている。差別を違憲と断じた1954年の連邦最高裁の「ブラウン判決」以後、翌年のアラバマ州における「バスボイコット事件」などを経て、アフリカ系アメリカ人への差別撤廃と地位向上を目指す公民権運動は堰を切ったようように活発化し、この流れは63年の「ワシントン大行進」、そして暗殺されたJFKが残した翌年の強力な「64年公民権法」へと結実した。

映画『グローリー/明日への行進』予告編