平和でしょうか 沖縄戦70年古い島言葉で訴え - 東京新聞(2015年6月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015062302000273.html
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「鉄の暴風」とも言われた激しい攻撃にさらされた沖縄戦終結から七十年の夏を迎えた。二十三日の「慰霊の日」。命を落とした肉親へ、きょうだいへ、心の傷が癒えない遺族は祈りをささげた。沖縄は今なお、名護市辺野古への基地移設問題に揺さぶられ、安倍政権の安全保障関連法案への懸念も広がる。「今は平和な世の中なのか」。若者たちの問いは続く。 
◆祖父の姉夫婦詩に 薄れる記憶と風化重ね 高3知念さん
沖縄全戦没者追悼式の会場になった平和祈念公園に、張りのあるうた声が響いた。自作の詩を朗読した沖縄県立与勝(よかつ)高校三年の知念捷(まさる)さんは琉歌を交えながら、「平和でしょうか」を意味する沖縄の島言葉「みるく世(ゆ)がやゆら」の問い掛けを繰り返した。「平和に対する思いをあらためて考えてほしい」との願いを込めて読み上げた。
詩では「戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉」と、戦死し、遺骨が見つかっていない「祖父の姉の夫」を描いた。
認知症を患った祖父の姉が戦死した夫を想起する姿と、戦後七十年の社会で進む戦争の記憶の風化を重ねて表現したという。「風化にあらがうと言うと語弊があるかもしれないが、彼女の気持ちを、戦争の惨めさを少しでも心にとどめておきたいと思った」
祖父の姉から直接、戦争体験を聞くことはなかった。それでも、幼いころから家族を通して祖父の姉の戦争体験を聞いたり、祖父の姉の夫の戦死を嘆く曽祖母の手記を見たりしていたという。
「祖父の姉の認知症が進む中、『軍人節』という戦争未亡人をテーマにした歌を何十回も歌っている姿を生で見た。少しでも彼女の気持ちに寄り添えればと思い、詩をしたためた」と振り返る。
詩の表現には琉歌や沖縄の島言葉、クワディーサーの木々や梅雨明け直後の沖縄に吹く夏至南風(かーちーべー)など自然を使った比喩を用いた。「琉球の言語を用いて沖縄の原風景やちむぐくる(他人に寄り添う心、の意味)、平和に対する思いを込めた」という。
「みるく世の素晴らしさを 未来へと繋(つな)ぐ」。知念さんが詩を結ぶと、会場から拍手が起きた。