憲法と安保法制 議論の積み重ねは重い - 東京新聞(2015年6月12日)

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安倍内閣が提出した安全保障法制は「違憲」か「合憲」か。大勢の憲法学者違憲と断じること自体、この法制が妥当性を欠く証左だ。合憲と言い張り、成立を強行する愚を犯すべきではない。
集団的自衛権を行使するための安保法制の合憲性をめぐり、与野党がきのう激しく火花を散らしたのは衆院憲法審査会だった。ちょうど一週間前、自民党が推薦した参考人を含めて憲法学者三人が、安保法制を違憲と断じた「因縁の場」でもある。
法案提出前の与党協議を主導した自民党高村正彦副総裁は安倍内閣集団的自衛権の行使容認に転じた閣議決定の根拠とした砂川事件最高裁判決(一九五九年)について「集団的自衛権の行使は認められないとは言っていない」と指摘した。しかし、認められると明言しているわけではない。
「砂川判決」は自衛権の行使を「国家固有の権能の行使」として認めているが、日本が集団的自衛権を行使できるか否かは議論されておらず、判決が行使を認めた自衛権に、集団的自衛権が含まれていると解釈するのは強引すぎる。
民主党枝野幸男幹事長が「都合よく憲法解釈を変更するのは、『法の支配』の対極だ」と安倍内閣の手法を批判したのも当然だ。
高村氏は「憲法の番人は最高裁であり、学者ではない」とも述べている。その通りではある。憲法八一条は最高裁判所を法律などが憲法に適合するか否かを決定する「終審裁判所」と定めている。
とはいえ、自ら呼んだ参考人の発言が期待と違ったからといって無視していいわけではあるまい。
最高裁は、個々の法律について常に合憲・違憲を判断しているわけではない。司法の手続きに入るのは訴訟の提起後で、訴えた人の権利が実質的に侵害されたとみなさなければ、憲法判断の前に訴えが却下されることもある。
自衛権の行使に関して最高裁が示した判断が、砂川判決しかないことも、こうした事情による。
自衛権をめぐる最高裁憲法判断が極端に少ないからこそ、国権の最高機関である国会や政府部内での議論の積み重ね、憲法学者による専門的な立場からの発信が重要なのではないのか。
最高裁の判断をねじ曲げ、国会での議論の積み重ねを顧みず、憲法学者の忠告を聞かず、一内閣の判断で憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認める。こんな憲法破壊を許しては戦後日本の平和国家としての歩みに汚点を残す。