「ひだんれん」 人ごととは思えない - 東京新聞(2015年6月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015060902000161.html
http://megalodon.jp/2015-0609-0938-52/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015060902000161.html

「指針を超える賠償を認めれば、不公平になる」と、東電側は主張する。終始一貫、“加害者”とは思えない立ち位置だ。
原子力損害賠償法は、国の責任を明確にしていない。電力会社を資金面で支援するだけだ。だから、国は帰還を勧め、補償の額を抑えようとするのだろう。
与党は、避難指示解除準備区域などへの慰謝料を、二〇一八年三月で一律に打ち切る方針を打ち出している。
原状回復が損害賠償の基本である。元へ戻せ、ということだ。しかし、ふるさとを元に戻すすべはない。
原発の安全を保証してくれるものはない。福島の事故で明らかになったのは、原発事故の責任を負いきれるものもいないということだ。責任があいまいなら、事故の教訓もあいまいになるだろう。
なのに国も電力会社も、再稼働へとひた走る。「ひだんれん」の訴えは、人ごととは思えない。