無差別兵器 国民知らず 北茨城市の風船爆弾:茨城 - 東京新聞(2015年6月8日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20150608/CK2015060802000160.html
http://megalodon.jp/2015-0609-1108-52/www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20150608/CK2015060802000160.html

海岸の丘の陰から、大きな細長い物体が浮かび上がった。夕日を受けて輝きながら、四つ、五つと続けて飛んでいく。
「友達と一緒に、磯原町の天妃山(てんぴさん)から何度も見た」。一九四四(昭和十九)年の暮れ、今の北茨城市国民学校初等科の四年生だった沼田章さん(80)=北茨城市=は、約六キロ北の大津町付近から放たれる旧日本軍の風船爆弾を眺めていた。十歳の子どもにはそれが何なのか分からない。「ふわあっと音もなく、次から次へと化け物のようだった」
風船爆弾は、太平洋戦争中に開発された無人兵器。爆弾をつるした気球を高度約一万メートルの偏西風に乗せて飛ばし、米国本土に直接落とす計画が実行された。直径十メートルの気球は和紙をコンニャクのりで貼り合わせた構造。内部に水素ガスを満たし、気圧の変化を利用した装置で高度を保ちながら、五十時間前後かけて太平洋を横断した。