少年飛行兵の思い 後世に 武蔵村山の兵学校  跡地に新資料館を - 東京新聞(2015年6月8日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015060802000126.html
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太平洋戦争中、今の東京都武蔵村山市に、東京陸軍少年飛行兵学校(少飛)があった。その歴史を伝えようと今年、関連資料や写真などを展示する資料館の建設が、学校跡地の同市大南で始まる。「資料が散逸する前に」。戦後七十年の節目に計画が大きく動きだしたきっかけは、自身も少飛で働き建設用地を市に寄付した、一人の女性の強い思いだった。 (萩原誠


<東京陸軍少年飛行兵学校> 航空兵を養成する東京陸軍航空学校として1937年、埼玉県の熊谷陸軍飛行学校内に開校し、38年に当時の東京・村山村に移転(敷地は約64ヘクタール)。43年3月に東京陸軍少年飛行兵学校に改称された。14〜17歳の少年が国語や数学、兵器学、軍事教練などの教育を1年間受けた。修了後は操縦・整備・通信の各分野に分かれた上級学校で2年学び、全国の部隊に配属された。少年飛行兵学校は滋賀、大分県にもあり、全卒業生4万6000人のうち4500人以上が戦死したとされる。