機雷掃海 定まらぬ前提 防衛相「国民に死者なくても」 - 東京新聞(2015年5月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015052902000136.html
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◆柳沢協二の安保国会ウォッチ 補判断基準を持たぬ政府
安倍晋三首相がこだわる中東のホルムズ海峡で機雷掃海を行う基準について、中谷元・防衛相は「どれくらいの被害を想定しているのか。死者が続出する状況か」と問われ、「必ずしも死者が出ることを必要としない」と答弁した。首相は「総合的に判断する」と言う。
死者が一人も出なくても、集団的自衛権が行使できる「存立危機事態」と言えるのか。武力攻撃を受けたときと同じ損害というのに、一人も死なないというのは同等の被害じゃない。
国民が一番知りたいのは、政府が総合的に判断する基準が何かだ。それについて何も答えていない。要するに政府は基準を持っていない、答えられないのだと思う。「その時になったら政府が判断する」というのが唯一の答えのようだ。
端的にホルムズ海峡に機雷がまかれれば、まいた国が日本に届くミサイルを撃ってくるというなら分かりやすいがイランは日本に届くミサイルを持っていない。中東の国で日本に届くミサイルを持っている国はない。
首相は「それ以外はなかなか念頭にない」と言う。具体例としてそれしかないのであれば、そこを徹底的に議論すべきだが政府自身が他国への攻撃で日本の存立を脅かされることがあると思っているのかさえ、疑わしい。
首相は二十七日の答弁で、私が指摘した自衛隊の後方支援に関するある新聞でのコメントを「柳沢さんは間違っている。なぜ初歩的なことを分からずにべらべらしゃべっているのか」と批判した。「べらべら」などと言うのはご不快だからだろう。
私は事実上起こる軍事的常識を指摘しただけだが武力行使を拡大させる法案を出し、実際にその重い決断をする首相自身がこのような感情的な言葉を使ってしまうことに不安を感じる。