自衛隊員が棺で帰る『美しい国』日本?(1) 集団的自衛権の今後を占う(NPO法人国際治政学研究所理事長 柳澤協二氏) - NETIB-NEWS(2015年5月26日)

(1/2) http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2015/05/38430/0526_knk_01/
(2/2) http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2015/05/38536/0527_knk_02/

――「日米安全保障条約」のどこにも書いていないことを勝手にやって。問題はないのですか。
柳澤 「日米安全保障条約」は先にも申し上げましたように基本的な枠組みで、国会が承認した条約です。書いてないことをまったくやってはいけないとも言えませんが、「日米安全保障条約」のどこにも書いてないことをやるのであれば、当然国会の承認をとってからやる必要があります。本来は「日米安全保障条約」の改正手続きを踏むべきものと考えています。
<政策及び措置に適切な形で反映することが期待>
新たな日米防衛協力のための指針「新ガイドライン」には、「指針はいずれの政府にも立法上、予算上、行政上またその他の処置をとることを義務付けるものではなく、又指針はいずれの政府にも法的権利または義務を生じさせるものではない」と書かれています。
しかしそれは建前上で、次に続く「しかしながら、2国間協力のための実効的な態勢の構築が指針の目標であることから、日米両政府がおのおのの判断に従い、このような努力の結果をおのおのの具体的な政策及び措置に適切な形で反映することが期待される」と縛りが入っています。強制力がなくても、アメリカの期待を裏切ることはできませんので、結局、実行していくことになります。
アメリカの「武力行使」に反対したことはない>
武力行使に関して言えば、日本はアメリカの「武力行使」に反対したことは過去に一度もありません。そのことを考えると、「ガイドライン」は一種の脱法的な、巧妙な対米公約になっているわけです。本来はあくまでも、日本とアメリカの関係は「日米安全保障条約」に基づいていなければなりません。
安保条約に書いてなければ、日本が米軍に基地を提供することはできません。それと同じことです。しかし、国内法で成立すれば、やれることになります。今はその順序が逆になっています。国内法ができる前から勝手に約束をしてしまい、後追いして数の力で法案を通してしまおうとしているわけです。その点だけから考えると、とても民主主義国家とは言えません。