(筆洗)ユーモアと哀愁をふくませた筆で「戦後」という時代を描いた作… - 東京新聞(2015年5月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015051502000134.html
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ユーモアと哀愁をふくませた筆で「戦後」という時代を描いた作家の山口瞳さんは、酒の席でよくこんなことを言ったそうだ。「私には三つの幸運があった。敗戦と憲法第九条と、いまの女房にめぐりあったことだ」。
山口さんは「戦争のない世の中というものがどういうものかわからない」世代の一人だった。四歳の時に起きた満州事変から日中戦争、太平洋戦争と、自分が成長するごとに戦火も広がっていく時代に育った。
戦争で死ぬのが当たり前だったから、二十歳になった自分の姿を想像することもできなかったという。だから戦地に送られる前に敗戦となって命拾いし、憲法九条を初めて知った時に山口さんは、「夢ではないか」と思ったそうだ。
ついこの間まで「命を差し出せ」と言っていた国が戦争を放棄し「命を守る」と約束した。それは明日の命も知れぬ時代を生きた人々にとり、夢のような大転換だったのだ。
海外での武力行使に道を開く一連の法案が、閣議決定された。名古屋高裁は七年前、イラク自衛隊武装した米兵らを空輸した後方支援は「他国による武力行使と一体化した行動」で憲法九条に反すると断じたが、その種の後方支援も拡大しようという法案だ。
九条も変えないまま、そういう法をつくるのは、憲法に反することにはならないのか。こんな形で「戦後」を大転換していいのだろうか。