草津・国立ハンセン病療養所 保存訴え続けた 故谺こだまさんしのぶ:群馬-東京新聞(2015年5月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150501/CK2015050102000152.html
http://megalodon.jp/2015-0501-0921-56/www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150501/CK2015050102000152.html

草津町国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」で主に戦前に患者たちが監禁された懲罰施設「重監房」の跡地が、遺構保存のために整備され、30日、一般公開に伴うテープカットがあった。跡地は昨年5月に82歳で亡くなった元患者、谺(こだま)雄二さんが保存を訴えた経緯があり、元患者たちは故人の遺徳をしのんだ。 (菅原洋)
「谺さんはあの世から、整備された跡地の様子を見てくれているだろう。谺さんの遺志を継ぎ、人権の尊さを伝える最善の努力をしていきたい」
入所者自治会の副会長だった谺さんと一緒に活動してきた元患者、藤田三四郎会長(89)は力強い口調で語った。
谺さんの親友だった元患者、岸従一(よりいち)さん(75)は「谺さんが自室でたくさんの本に囲まれ、人権などについて熱心に勉強していた姿を思い出す。谺さんが重監房であった差別の歴史を暴いた」と追憶した。
重監房には、園外に逃走したなどという不条理な理由で患者九十三人が収容された。真冬は氷点下二十度近くになる室内で粗末な食事しか与えられず、二十三人が死亡したとされる。
建物は戦後取り壊されたが、約五百平方メートルの跡地にコンクリートなどの基礎が残っていた。ただ、基礎が劣化し、雑草が生い茂るなど荒れていたため、昨年十一月から整備していた。
具体的には、基礎を掘り起こし、コンクリートなどに特殊な樹脂加工を施して保存処理し、埋め戻した。除草のために跡地一帯に砂利を敷き、見学者用のデッキや柵も設けた。
園内の別の場所には一年前、谺さんが長年必要性を訴え続けた重監房資料館も開館し、再現された建物などを展示している。一年間で約八千五百人が来館した。
跡地ではこの日、藤田会長や草津町の黒岩信忠町長、厚生労働省の関係者ら計四人がテープカットした。
藤田会長は「この跡地で、患者たちは(ユダヤ人が大量虐殺された)アウシュビッツのようにもがき苦しみ、ミイラのようになって死んでいった。二度と起きないように、多くの人に見学してほしい」と語った。

関連サイト)
重監房資料館ホームページ
http://sjpm.hansen-dis.jp/