(筆洗)<九歳のときに、娘のキャスリーンが私に尋ねた。お父さんは人を殺したことがあるのかと…>…-東京新聞(2015年4月30日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015043002000127.html
http://megalodon.jp/2015-0430-0938-57/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015043002000127.html

<九歳のときに、娘のキャスリーンが私に尋ねた。お父さんは人を殺したことがあるのかと…>。米国の作家ティム・オブライエン氏の「待ち伏せ」は、『本当の戦争の話をしよう』(村上春樹訳)に収められた、わずか五ページの短編である。

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

ベトナムで戦った主人公は「まさか、殺してなんかいないよ」と答え、娘を膝の上にのせて抱く。そうして、娘がまたいつか同じ質問をしてくれればいいな、と思う。
ベトナム戦争は「画期的」な戦争だったという。兵士がためらいなく「殺人」できるよう葛藤を抑え込む工夫がされた。とにかく条件反射で撃つように訓練する。敵を別種の動物と思うよう仕込む。心が揺らぐ兵には薬物も投与する。
陸軍士官学校の教授だったデーヴ・グロスマン氏の『戦争における「人殺し」の心理学』によれば、こうした策の徹底によって「心の安全装置」が外された兵士たちは、それまでの戦争とは桁違いに効率的な「兵器」になったという。
しかし、心は効率的にはなりきれない。殺人の罪悪感は心の奥に潜み、数十万から百数十万ともいわれるベトナム帰還兵が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苛(さいな)まれたそうだ。
待ち伏せ」の主人公は、ベトナムの戦場で若い男を殺していた。そして、その青年がふと現れては消えていく姿を、見続ける。ベトナム戦争終結して、きょうで四十年だ。