愛川欽也さん死去 80歳 東京と平和愛し続け-東京新聞(2015年4月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015041702000252.html
http://megalodon.jp/2015-0421-1022-40/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015041702000252.html

東京・巣鴨に生まれ、下町を愛した。心に秘めた強烈なまでの平和への執念。その原点は、故郷を空襲で焼かれ、親類を頼って秋田や茨城などの疎開先を転々とした子ども時代にある。
戦後五年たってようやく東京に戻れた。中学の恩師が新憲法を教えてくれたという。「日本はこれだけの犠牲を払って近隣諸国に迷惑をかけて、平和国家として道を決めたな、と思った」。だから改憲の動きには怒りを隠さない。「戦争があれば街は壊れる。東京が世界に冠たる平和な都市、戦争をしない都市になるには、憲法を変えないこと。そのために、町じゅうの道を『平和憲法通り』って名前にしたらいいんだ」
憲法を守って戦争しない街と、そんな人間が残ったら。おれはそれにロマンを感じる」。憲法と平和の話になると止まらない。インタビューの時間がなくなると冷や汗をかいたが、本紙を評してキンキンに言われた言葉は忘れない。「東京新聞の読者の数が平和の数だって言っていいよ」
本紙連載の「わが街わが友」の最終回では「また、強い国の夢をみる人が増えてきたような気がする。マスコミがもう一度軍靴の行進に旗を振ったり、提灯(ちょうちん)を灯(とも)したりしたらこの半世紀は一体何だったのだろうと思う」と結んでいる。
アド街」放送千回の取材で、体調が悪いと聞いて心配していた。あの元気な声がもう聞けないのは寂しい。 (五十住和樹)