デモクラシーの病│映画作家・想田和弘の「観察する日々」- マガジン9(2015年4月15日)

http://www.magazine9.jp/article/soda/18725/

このときの山さんの選挙は、一体どんなものだったのか?
詳しくはDVDなどで映画をご覧いただきたいのだが、ひと言で言うならば、日本の伝統芸能のごとき「どぶ板選挙」である。今回の統一地方選挙でも日本全国で繰り広げられたであろう、あのお馴染みのスタイルだ。
スーツにタスキ、手には白い手袋。選挙カーで名前を「3秒に1回」連呼して回り、「よろしくお願いします!」と道行く人にかたっぱしから握手を求めていく。駅前に立って「おはようございます! いってらっしゃいませ!」と通勤客にあいさつする。運動会やお祭りなど地元の行事に顔を出したり、農協で個人演説会を開いたりして、組織票を固めていく。一方、公開討論会などは一度も開かれず、したがって政策論争は皆無。


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僕がそれを深刻な病気としてはっきりと自覚したのは、2011年4月に『選挙2』を撮影したときである。
このときの山さんはすでに自民党から干され、「主夫」として子育てをしていた。ところが3月11日、あの東日本大震災福島第一原発事故が起き、山さんは4月1日告示の市議選に無所属で出馬する。「脱原発」を訴えるためである。

実際、デモクラシーの病が重篤化し、投票率が下がれば下がるほど、そして無投票地域が増えれば増えるほど、既存の政治家たちの地位は安泰になる。かつて森喜朗首相が「無党派層には寝ていてほしい」と発言したように、主権者の政治離れが進む現状に対してほくそ笑んでいる不届き者も多いのではないだろうか。選挙制度を健全化することは、極めてハードルの高い課題だと言えるだろう。
とはいえ、このままでは日本のデモクラシーは本当に死んでしまう。少なくとも、すでに体の組織の22%は死んでいると言っても過言ではない。
わたしたちの社会は、引き返すことが不可能な「ポイント・オブ・ノーリターン」に着実に近づいていっている。わたしたちは、まずはそのことを冷徹に認識すべきなのではないだろうか。