皇太子の記者会見と「日本国憲法の価値」について(山崎雅弘さん) - Togetterまとめ(2015年3月3日)

http://togetter.com/li/789948

自民、改憲へ「世論対策」本腰 国民投票に向け集会再開 - 朝日新聞デジタル(2015年2月22日)
http://digital.asahi.com/articles/ASH2P5JQ2H2PULFA002.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH2P5JQ2H2PULFA002
http://megalodon.jp/2015-0325-1207-04/digital.asahi.com/articles/ASH2P5JQ2H2PULFA002.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH2P5JQ2H2PULFA002

自民党は21日、昨年末の衆院選で中断していた憲法改正に向けた「対話集会」を盛岡市で再開した。仮に、改憲の国会発議に必要な衆参両院の3分の2の賛成が得られても、国民投票過半数を得るためのハードルはなお高いとみるからだ。安倍晋三首相や自民は「世論対策」に本腰を入れ始めた。
憲法改正推進本部事務局長の礒崎陽輔首相補佐官はこの日の集会で、党員や支持者ら約200人を前に「来年中に1回目の国民投票まで持っていきたい。遅くとも再来年の春にはやりたい」と述べ、来夏の参院選後に改憲の国会発議を行い、国民投票に道筋をつけたいとの考えを示した。

かつての朝日新聞なら、現職首相の側近が日本国憲法第99条の「憲法尊重擁護義務」を全く無視して、憲法を「尊重も擁護もする気はありません」という態度を取れば、きわめて重要な政治問題として激しく批判していただろう。朝日叩きの鎮静化と、政府の意向代弁記事ばかりになった状況は関連している。
憲法改正を国民に1回味わってもらう」という自民党憲法改正推進本部事務局長の礒崎陽輔首相補佐官の発言は、憲法改正は国民の主体的判断に基づくという「建前の形式」すら無視している。憲法を「変えるのは自分たち」で、国民は「それを味わう」側だという、首相周辺の傲慢な思考を物語っている。

皇太子殿下お誕生日に際し-宮内庁(2015年2月20日
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h27az.html
「私は,常々,過去の天皇が歩んでこられた道と,天皇は日本国,そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致すよう心掛けております」「我が国は,戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています」皇太子のお誕生日記者会見を確認すると、第二次安倍政権発足以降、「日本国憲法」への言及回数が激増している。日本国内の「空気」の変化が、この回数の変化にも表れている。

日本国憲法第99条の現憲法擁護義務を、皇室の方々は果たされているが、NHK天皇・皇后や皇太子の会見内容から「現憲法を擁護する発言は『検閲』して放送しない」という方針を今も続けている。
現政権になってから、それ以前なら考えられなかったような、人権や人道、民主主義をないがしろにする差別的・恫喝的な言説が、政府トップやその周辺、支持者の口から公然と語られているが、憲法改正という「ゴール」から逆算して見れば、こうした暴言の氾濫は「地ならし」の効果があるのかもしれない。
戦前戦中の「国家神道体制」を現代に復活させることを望む人間にとっての最大の障害が、人権や人道、民主主義を価値判断の上位に置く「日本国憲法」の存在。国民は国家体制に奉仕するのが当然という国家神道の思想と、人権や人道、民主主義を重んじる「日本国憲法」の理念は相容れない。だから、壊す。


戦後70年:今も続いている国民への忍耐押しつけ ドナルド・キーンさんインタビュー- 毎日新聞(2015年2月26日)

http://mainichi.jp/feature/news/20150226mog00m040001000c.html
http://megalodon.jp/2015-0325-1205-59/mainichi.jp/feature/news/20150226mog00m040001000c.html
「政府と軍部は都合良く、日本人の美徳である我慢強さを利用しました」
「国民は理不尽に忍耐を押し付けられてはいないでしょうか」
日本国憲法は「戦勝国の押し付け」だという言説は、首相自身もその周辺も盛んに口にする常套句だが、その日本国憲法が公布される以前、日本国民はどれだけ多くの理不尽な奉仕や犠牲を「国家」から「押し付け」られてきたか。それによって、どれほど多くの日本人や外国人が死んだか。それを忘れたのか。
戦勝国の押し付け」憲法と引き換えに、政府の失敗を尻ぬぐいするための理不尽な奉仕や犠牲という「国家」からの「押し付け」から解放されたのなら、私はそちらの方がはるかに「マシ」だと思う。理不尽な奉仕や犠牲という「国家」からの「押し付け」をまた強いられる時代に戻したいとは全然思わない。


(コラム)憲法改正、地雷は9条以外の部分に埋められている-ブルームバーグ(2015年2月24日)
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NK8L9F6JTSEP01.html
http://megalodon.jp/2015-0325-1206-33/www.bloomberg.co.jp/news/123-NK8L9F6JTSEP01.html
「危険なのは、日本人がごまかされて自ら自由を手放すことだ。9条改正に気を取られ、人権を『責務』に置き換える部分を素通りしてしまう可能性がある」
私もブルームバーグ記事の論旨に同意する。人権や人道の尊重、民主主義など、日本国憲法の根底にある理念が、与党改憲案では「条件付き」になっている。戦争放棄も重要だが、仮に日本が戦争の当事国にならなくても、人権や人道、民主主義よりも「国家体制」への献身と奉仕が優先される社会に変質する。
首相周辺は近隣諸国との関係をわざと悪化させて緊張状態を創り出した上で「日本を取り巻く情勢は変わった」「近隣には友好国はない」「国を守るためには、現行憲法では不都合」だという漠然とした危機感を演出して、改憲も仕方ないという方向へと世論を導く。隣国嫌いの人間は、それに利用されている。
憲法第99条の現行憲法擁護義務は、皇族も対象なので、皇族の方々が日本国憲法の擁護に言及されるのは完全に合憲です。その上で、国民が忘れてはならないと思うのは、憲法が与党案に変われば、国民の生活だけでなく、皇族と国家や憲法との関係も激変するという事実です
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もし憲法が改正されて天皇が「国家元首」の座に祭り上げられれば、天皇は首相や閣僚らが内外で行う行為や政策決定に「国家元首」として責任の一端を負わされる。発言権は一切認められず、ただ責任の分担だけ強いられる。諸々の「有識者会議」と同様、首相周辺の責任回避の盾として、天皇も利用される。