東京大空襲70年の祈り 孤児の悲惨さ語り続け-東京新聞(2015年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000258.html
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独りぼっちになったつらさ、親戚宅を転々とするわびしさ。生は死よりもつらいとさえ思っていた。東京大空襲で孤児となった埼玉県蕨(わらび)市の金田茉莉(まり)さん(79)は、過酷な経験を振り返り、悲惨な出来事を語り継ぐことの意味をかみしめている。「戦争は何の罪もない民間人の命を絶ち、多くの孤児も生み出した。いかに残酷か気付いてほしい」と語る。

当時九歳の金田さんは空襲のあった日、宮城県学童疎開先から東京・浅草に戻り、焼け野原に立ち尽くした。母、姉、妹の三人を失った。父は既に病死しており、一人きりになった。

九人の大家族の親戚に預けられた時は、朝から晩まで家事に追われた。「野良犬」となじられたことも。大きな瞳が特徴の少女は「腐った魚のような目」と友人に言われるほど人相が変わった。結婚して子どもを授かるまで、母の元へ行きたいと何度も思った。

五十一歳の時、自らの歩みを記した本を出版すると他の孤児たちとつながりができた。飢え、親戚からの虐待、就職や結婚での差別…。「つらすぎて、ずっと話せなかった」「みじめで思い出したくなかった」。重い口を開いてくれた孤児たちの声を再び本にまとめた。

「伝えなければ、なかったことにされてしまう」。二度と戦争孤児を出したくないとの痛切な思いがある。いま「戦争孤児の会」世話人代表を務める。

講演などを通じて戦争について語り続ける金田さんは「集団的自衛権行使が容認され、戦争をできる状況がつくられつつある」と心配する。「戦時中の治安維持法を思わせる特定秘密保護法も施行された。国民が物を言えないような状態になると、誰も戦争を止められない」と危機感を訴えた。

東京大空襲と戦争孤児―隠蔽された真実を追って

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終わりなき悲しみ

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