川崎の殺人事件 目に余るネット情報-東京新聞(2015年3月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015031302000132.html
http://megalodon.jp/2015-0313-1008-56/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015031302000132.html

川崎市の中学生殺害事件で、インターネットにあふれる容疑者とみられる少年らの個人情報が目に余る。好奇心や義憤に駆られた面があるかもしれないが、人権侵害の恐れが強い投稿は慎むべきだ。

少年三人が逮捕されたこの事件では、二月の発生直後から犯人を割り出したと称して、幾人もの個人情報が誹謗(ひぼう)中傷の言葉と共にネットで広がった。

犯人と決めつけて少年らの名前や顔写真、家族構成、住所などが投稿され、転載が繰り返された。さらに事件とは無関係の少年らの情報も飛び交った。

リーダー格の少年の自宅前とされる場所から生中継する子どもまで現れた。家の表札や家族とみられる人たちの出入り、車のナンバーが写り込んだ動画を修整せずに配信したのには驚かされる。

今でもこれらの情報はネット空間に残ったままだ。コピーが重ねられ、完全な削除は難しい。

パソコンやスマートフォンが普及し、誰でもメディアの一員になれる時代だ。だからこそ、他人の尊厳や名誉に対しては一層の注意を払わなくてはならない。

簡単に言えば、他人の私生活をみだりに暴き立てればプライバシーの侵害に、社会的な評価をおとしめれば名誉毀損(きそん)になり得る。

とりわけ事実無根の情報を流せば、民事、刑事両面で責任を追及されるリスクが高いことを自覚すべきだ。匿名での書き込みや転載であっても発信元の調べはつく。

二〇一一年の大津市の中学生いじめ自殺事件では、加害者の親族と間違われ、うその書き込みや顔写真が投稿されたとする訴えが相次いだ。興味本位の軽はずみな行動には制裁も待っている。

言うまでもなく、罪に問われた未成年者の身元の特定に結びつくような報道は、将来の立ち直りや社会復帰を妨げかねないとして少年法で禁じられている。

法の趣旨に照らせば、ネットでの情報の拡散も例外ではない。たとえ事実であっても、責任を問われ得るとの見方が強い。

昨年の長崎県佐世保市名古屋市での殺人事件でも、容疑者とみられる女子高生や女子大生の個人情報が蓄積されている。人権軽視の事態が放置され、ネット規制の動きが強まっては困る。

凶悪犯罪であるほど処罰感情が高ぶるのは人情だが、法治国家では私刑は認められない。ネットを暴力装置として悪用する風潮を食い止めるためにも、情報モラルを立て直す自浄努力が欠かせない。