ワイツゼッカー氏 貫いた過去への眼差し-東京新聞(2015年2月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015020302000144.html
http://megalodon.jp/2015-0203-1140-50/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015020302000144.html

ワイツゼッカー元独大統領が亡くなった。欧州連合(EU)の理念が揺らぐ今こそ、ドイツの負の歴史に常に向き合い、欧州の平和的統合を説き続けた象徴的指導者の言葉に耳を傾けたい。

祖父は州首相、父は外務次官、兄は著名な物理学者というドイツの名門。それでいて身に付いた気さくさ。政治家というより言葉による伝道師を思わせた。

「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」。よく知られる戦後四十周年の議会演説はその白眉だろう。政治活動の半面、生涯を通してドイツ福音主義信徒大会の指導的役割を担い続けた。数々の演説を貫く過去への眼差(まなざ)し、人道、平和主義に基づく現代社会への鋭い問いかけは、第二次大戦、冷戦体制崩壊という二つの「戦後」の復興を担ったキリスト教的価値観に立脚していた。

回想録「四つの時代」の中で、「キリスト教」の名前を冠している政党に入ることの意味を、ルターの教えに言及しながら「欠陥があるわれわれへの戒め」と述べているのも、その表れだ。

理想主義的な言動は、政治上の実質的な権限を担う政権内から折に触れて批判の対象となった。特に十六年の長期政権を通じ、絶大な権力を誇示したコール元首相とは度々衝突、大統領の退任後、党籍剥奪問題にまで発展したこともある。発覚したコール氏の金権体質を徹底して批判したのも大統領だった。

退任後は、国連の機構改革の委員に名を連ねる一方、ドイツ連邦軍改革委員長として軍縮小の改革案をまとめるなど活躍。中日新聞社主催の戦後五十年企画で一九九五年訪日するなど度々来日した。

九九年、二十世紀を総括する企画で本紙に登壇願った。ワイツゼッカー氏は、世界が今後直面する課題は政治的な民主主義、経済的な競争力、社会的な人間的紐帯(ちゅうたい)の三つをいかに共存させるかという点にあると指摘、欧州統合の理念はそこに至る歴史的な実験、との思いを語っていた。

「欧州が二十一世紀の世界にもたらし得る貢献の最大のものは、平和裏に統合を進めるプロセスとしてのEUだ」。すでに拡大、深化の大きな分岐点を迎えていたEUを語る口調には強い思いが込められていた。

欧州統合の危機は、統合の理念を語る指導者の不在に起因するといわれる。ワイツゼッカー氏の死去により欧州が喪(うしな)うものはあまりにも大きい。

ワイツゼッカー氏死去 元ドイツ大統領 戦争責任直視促す演説-東京新聞(2015年2月1日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015020102000123.html
http://megalodon.jp/2015-0203-1142-00/www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015020102000123.html

一九八五年五月、「荒れ野の四十年」と題したドイツ敗戦四十周年の連邦議会演説で発した「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」との言葉は有名だ。ドイツ国民が犯した罪と歴史を直視しなければナチス・ドイツが迫害したユダヤ人や近隣諸国との真の「和解」はできないとの訴えで、国内外で大きな反響を呼んだ。

九〇年十月の東西ドイツ統一でも「統一することとは、分断を学ぶこと」と演説し、過去を真摯(しんし)に振り返ることの大切さを主張した。

戦後五十年の九五年夏には、本紙の招きで来日。記念講演で「過去を否定する人は過去を繰り返す危険を冒している」と訴えた。

ワイツゼッカー氏 「荒れ野の40年」演説-東京新聞(2015年2月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015020402000120.html

統一ドイツの初代大統領となったリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏が先月31日、死去した。本紙は翌1日付朝刊で、「荒れ野の40年」演説として知られる戦後40年を節目とする連邦議会での演説をはじめ、退任後もナチスの歴史を直視することで近隣諸国との和解を促してきたワイツゼッカー氏の歩みを紹介した。「演説の中身を詳しく知りたい」。多くの読者から強い関心が寄せられた。戦後70年を迎えた今、過去と真摯(しんし)に向き合い「ドイツの良心」ともいわれたワイツゼッカー氏の言葉をあらためてかみしめたい。

◇故ワイツゼッカー氏議会演説要旨
ワイツゼッカー氏が戦後四十年にあたる一九八五年五月八日、西ドイツ(当時)の首都ボンの連邦議会で行った演説の要旨は次の通り。

五月八日は記憶の日である。記憶とは、ある出来事を誠実かつ純粋に思い起こすことを意味する。

われわれは戦争と暴力の支配で亡くなったすべての人の悲しみを、とりわけ強制収容所で殺された六百万人のユダヤ人を思い起こす。戦争に苦しんだすべての民族、命を落とした同胞たちを思い起こす。虐殺されたロマや同性愛者、宗教的・政治的な信念のために死ななければならなかった人たちを思い起こす。ドイツ占領下の国々での抵抗運動の犠牲者を思い起こす。数えられないほどの死者の傍らで、悲しみの山がそびえ立っている。

確かに、歴史の中で戦争と暴力に巻き込まれることから無縁の国などほとんどない。しかしユダヤ人の大量虐殺は歴史上、前例がないものだ。

この犯罪を行ったのは少数の者だった。あまりにも多くの人が、起こっていたことを知ろうとしなかった。良心をまひさせ、自分には関わりがないとし、目をそらし、沈黙した。戦争が終わり、ホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになったとき、それについて全く何も知らなかったとか、うすうす気付いていただけだと主張した。

ある民族全体に罪があるとか罪がないとかいうことはない。罪は集団的ではなく個人的なものだ。発覚する罪もあれば、ずっと隠されてしまう罪もある。あの時代を生きたそれぞれの人が、自分がどう巻き込まれていたかを今、静かに自問してほしい。

ドイツ人だからというだけで、罪を負うわけではない。しかし先人は重い遺産を残した。罪があってもなくても、老いも若きも、われわれすべてが過去を引き受けなければならないということだ。

問題は過去を克服することではない。後になって過去を変えたり、起こらなかったりすることはできない。過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる。非人間的な行為を記憶しようとしない者は、再び(非人間的な行為に)汚染される危険に陥りやすいのである。

人間の一生、民族の運命という時間の中で、四十年の歳月は大きな役割を果たしている。この国には、新しい世代が政治的な責任を引き受けられるまでに成長してきた。かつて起きたことについて若者に責任はない。しかし、その後の歴史で生じたことに対しては責任がある。

われわれ年長者は、過去を心に刻んで忘れないことがなぜ決定的に重要なのか、若者が理解できるよう手助けしなければならない。冷静かつ公平に歴史の真実に向き合えるよう、若者に力を貸したいと思う。

人間は何をしかねないのか、われわれは自らの歴史から学ぶ。だからわれわれはこれまでとは異なる、よりよい人間になったなどとうぬぼれてはならない。

究極的な道徳の完成などあり得ない。われわれは人間が危険にさらされていることを学んだ。しかしその危険を繰り返し克服する力も備えている。

ヒトラーは常に偏見と敵意、憎悪をかき立てるように努めていた。 

若い人たちにお願いしたい。他人への敵意や憎悪に駆り立てられてはならない。対立ではなく、互いに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。自由を重んじよう。平和のために力を尽くそう。正義を自らの支えとしよう。


リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏> 1920年、ドイツ南部シュツットガルト生まれ。英オックスフォード大などで学び、第2次世界大戦に従軍。連邦議会議員、西ベルリン市長を経て、84年に西ドイツ大統領就任。東西ドイツ再統一をはさみ、94年まで務めた。戦後50年の95年には本紙の招きで訪日。記念講演で「過去を否定する人は過去を繰り返す危険を冒している」と訴えた。

『荒れ野の40年』 (1985) ヴァイツゼッカー 大統領演説

和訳サイト
http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/areno.html

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