<戦後の地層 覆う空気>(2) カーキ色の街-中日新聞(2015年1月4日)

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「これ見て」。東京都品川区のテーラー店主、白瀬一郎(77)が一枚の写真を記者の前に置いた。太平洋戦争中の一九四三年、東京・大森諏訪神社の祭り。大人の男性二十二人のうち二十人近くが軍人のようないでたちだった。「国民服がほとんど。こんな時代があったんだよ」。父栄一も大森で国民服を作っていた。

陸軍が国防色としたカーキ色の国民服が法令で定められたのは四〇年。街は次第に一色に染まった。「国が業界に介入した。人がいろんな服を着たがるのは洋服屋のせいだと」。国力のすべてを戦争につぎ込む総動員体制で、「おしゃれ」は異を唱えるものとして、目の敵にされた。