<戦後の地層 覆う空気> (4)滑走路の並木-中日新聞(2015年1月6日)

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◆特攻 桜花は毒の花
脳梗塞で寝たきりとなった渡部亨(とおる)(88)=松山市=は、天井を見つめながら、昔の仲間のことを無性に思い出すようになった。妻の泰子(85)は夫がうなされているのを聞いている。「戻ってこい」「負けるものか」…。

一九四五年四月、旧海軍鹿屋(かのや)航空基地(鹿児島県鹿屋市)から出撃した。搭乗したのは「桜花」。火薬の詰まった胴体に翼とエンジン、操縦かんがついただけの機体。高度六千メートルで親機から離れた後は、ただ落ちていく運命の人間爆弾だ。目に焼き付いたのは満開の桜。「海が黒かったから余計にね。こんなに桜ってピンクだったっけと…」

親機の故障で海に不時着し、命拾いした。戦後は繊維会社に勤め、子にも孫にも恵まれた。幸せな「命の延長戦」だったが、あれ以来七十年間、桜と目を合わせたことはない。「戦争は毒。あれだけは食べたらいかん。桜は毒の花じゃないですかねえ」

太平洋戦争終盤、勝ち目のない戦局で編み出された、苦肉の特攻作戦。捨て身の体当たり攻撃は、桜の散り際にたとえてたたえられた。「志願」するしか選択肢のない状況で、多くの若者の命が海へと消えた。